古田史学の会一覧

第1370話 2017/04/15

フィロロギーと古田史学

 本日の「古田史学の会」関西例会で、最も深く考えさせられた発表は古代史のテーマではなく、茂山さんの「フィロロギーと古田史学【その1】」という哲学・論理学の分野の発表でした。
  古田先生の恩師、村岡典嗣先生がヨーロッパから導入されたアウグスト・ベークのフィロロギー(文献学と訳されることが多い)の著書『解釈学と批判 -古典文献学の精髄-』(安酸敏眞訳、知泉書館。原題 Encyklopadie und Methodologie der philologischen Wissenschaften)の解説です。特に「実証」と「論証」の関係性についての説明はとても勉強になりました。
 村岡先生の「学問は実証よりも論証を重んじる」という言葉の意味について、「実証」も「論証」もそれらが正しいかどうかは「論証」によって改めて証明できなければならないとされ、この「論証の二重構造」こそ「実証よりも論証が重要」という本当の意味だとする指摘は、村岡先生の言葉を正しく理解する上で貴重な示唆と思いました。このテーマを連続して発表されるとのことですので、「関西例会」がますます楽しみとなりました。
 4月例会の発表は次の通りでした。

〔4月度関西例会の内容〕
①古田説批判(2倍年歴・魏志倭人伝)『古代史家は古代史を偽造する』抜粋(犬山市・掛布広行)
②「九州王朝の勢力範囲」清水淹氏に答える(八尾市・服部静尚)
③フィロロギーと古田史学【その1】(吹田市・茂山憲史)
④降臨神話の原話から神武説話へ(東大阪市・萩野秀公)
⑤薩夜麻の都督就任と倭国(九州王朝)における二重権力状態の発生(川西市・正木裕)
⑥王朝交代(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版・会員数増加の報告・年間活動報告・「古代史セッション」(森ノ宮)で4/21米田敏幸氏、5/26古賀が講演予定・『古田史学会報』投稿要請・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会5〜7月会場変更の件(ドーンセンター、京阪天満橋駅近く)・『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版記念講演会を大阪(9/09)・東京(10/15)で開催・『九州倭国通信』に正木・服部論稿が掲載・『多元』に古賀稿が掲載・筑紫野市前畑土塁保存署名の協力・その他


第1368話 2017/04/11

『古田史学会報』139号のご案内

『古田史学会報』139号が発行されましたので、ご紹介します。本号には刮目すべき論文二編が収録されています。西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)の「倭国(九州)年号建元を考える」と山田春廣さんの「『東山道十五国』の比定 -西村論文『五畿七道の謎』の例証-」です。
西村さんの論稿は、『二中歴』年代歴のみに見える最初の九州年号「継躰」を、「善記」年号が建元された時、遡って「追号」されたものとする新仮説です。西村さんからこのアイデアを初めて聞いたとき、わたしは「変なことを言ってるなあ。西村さんらしくもない」と思い、年号の「追号」など聞いたこともないと反論し、論争となりました。しかし、そう考えざるを得ない『二中歴』「善記」細注記事の矛盾や、中国での「追号」例があることなどの説明を聞くうちに、これはすごい仮説かもしれないと思うようになったのです。引き続き、論争や検証が必要ですが、なぜ「継躰」年号が『二中歴』にしか現れず、他の九州年号史料が「善記」を年号の初めとする理由などが、西村説により説明可能となるのです。
山田稿は『日本書紀』景行紀に見える「東山道十五国都督」という記事について、大和朝廷にとっての東山道諸国は8国であり、この記事とは対応していないが、九州王朝の東山道(豊前・山陽道・東山道など)であれば、ちょうど15国になることを明らかにされました。従って景行紀の当該記事は九州王朝史料に基づくもので、記事中に見える「都督」も九州王朝の都督であるとされました。
わたしも、景行紀の「都督」を以前から不思議な記事だと思っていたのですが、わけがわからないまま放置してきました。それを今回山田さんが九州王朝の古代官道「東山道」として、見事な解説で解き明かされたのです。山田稿を受けて、西村さんは「編集後記」で、九州王朝の「東海道」を「豊後・南海道・東海道など」とする見解を示されました。これらの論稿を読み、九州王朝説に基づく多元的古代官道研究の幕開けを予感しました。
このように『古田史学会報』139号は九州王朝研究にとって画期をなすものとなりました。掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』139号の内容
○倭国(九州)年号建元を考える 高松市 西村秀己
○6月18日(日)井上信正氏講演会・「古田史学の会」会員総会のお知らせ
○太宰府編年への田村圓澄さんの慧眼 京都市 古賀達也
○「東山道十五国」の比定 -西村論文「五畿七道の謎」の例証- 鴨川市 山田春廣
○「多利思北孤」について 京都市 岡下秀男
○書評 倭人とはなにか -漢字から読み解く日本人の源流- 木津市 竹村順弘
○金印と志賀海神社の占い 京都市 古賀達也
○ご紹介 『大知識人坂口安吾』大北恭宏(『飛行船』二〇一六年冬。第二〇号より抜粋) 事務局長 正木 裕
○文字伝来 八尾市 服部静尚
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○「壹」から始める古田史学Ⅹ 倭国通史私案⑤
九州王朝の九州平定-糸島から肥前平定譚
古田史学の会・事務局長 正木裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○二〇一七年度 会費納入のお願い
○編集後記 西村秀己


第1364話 2017/04/06

井上信正さん大阪講演のご案内済み

 太宰府条坊研究の第一人者である井上信正さん(太宰府市教育委員会)をお招きして、大阪市で講演会を開催します。「古田史学の会」会員総会の記念講演会ですが、会員以外も参加可能で無料です。関西ではお聞きする機会が少ない井上さんの太宰府や筑紫野市前畑土塁の最新研究成果を御講演いただきます。お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。

〔日時〕6月18日(日)13:20〜16:00
〔会場〕エル大阪 5階研修室2(大阪市中央区北浜)
       交通アクセス
〔講師〕井上信正氏(太宰府市教育委員会)
〔演題〕大宰府都城について
〔主催〕古田史学の会
〔参加費〕無料
〔会員総会〕講演会終了後に「古田史学の会」会員総会を開催します。会員の皆様のご出席をお願いします。
〔懇親会〕会員総会後に希望者による懇親会(有料)を開催します。懇親会参加申し込みは、当日会場にて受付ます。非会員も参加できます。


第1361話 2017/04/01

3月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 3月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 3月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2017/03/01 『京染と精練染色』の原稿執筆依頼
2017/03/03 青年と筑前・筑後の史跡調査旅行
2017/03/04 久留米市の地名「部京(ぶきょう)」
2017/03/05 筑紫神社の訓みについて
2017/03/06 『唯物論研究』138号の執筆陣
2017/03/09 『多元』138号のご紹介
2017/03/11 『東海の古代』199号のご紹介
2017/03/19 『季報 唯物論研究』138号が届く
2017/03/22 筑紫の考古学資料2誌を精読中
2017/03/31 『東京古田会ニュース』No.173のご紹介


第1356話 2017/03/18

九州王朝の大尺と小尺

 本日の「古田史学の会」関西例会では、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が発表された古代の「高麗尺」はなかったとするテーマで、九州王朝「尺」についてわたしとの質疑応答が続きました。その討論を経て、南朝尺(25cm弱)を採用していた九州王朝は7世紀初頭には北朝の隋との交流開始により北朝尺(30cm弱)を採用したとの見解に収斂しました。その根拠として太宰府条坊区画(約90m=300尺)があげられます。しかしながら、大宰府政庁や観世音寺などの北部エリアの新条坊区画が太宰府条坊都市の区画と「尺」単位が微妙に異なる点についてはその事情が「不明」で、引き続き、検討することになりました。この点については、6月の「古田史学の会」会員総会記念講演会の講師・井上信正さん(太宰府市教育委員会)にもお聞きしようと思います。
 前期難波宮の条坊単位も北朝尺(30cm弱)によっているようですので、九州王朝は7世紀初頭から前期難波宮造営の7世紀中頃までは北朝尺で、大宰府政庁・観世音寺の新条坊エリア造営の670年(白鳳10年)頃にはそれとはやや異なった「尺」を用いたと考えられます。大宝律令の大尺と小尺は九州王朝が採用していた北朝尺と南朝尺を反映したものではないでしょうか。服部さんの発表と討論によって、九州王朝「尺」に対する認識が深まりました。
 3月例会の発表は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
①「東山道十五国」の比定 -山田春廣説の紹介-(高松市・西村秀己)
②高麗尺やめませんか(八尾市・服部静尚)
③師木の波延から追う神武帝と国号日本の原姿(大阪市・西井健一郎)
④6〜7世紀の王墓と継躰天皇陵(神戸市・谷本茂)
⑤晋書の西南夷とは(茨木市・満田正賢)
⑥「帝王本紀」・「帝紀」について(東大阪市・萩野秀公)
⑦『神功紀』が語る「八十梟帥討伐譚は邇邇芸命らの肥前討伐譚からの盗用」(川西市・正木裕)
⑧全盛期の九州王朝を担った筑後勢力 -筑後は倭国の首府だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・7/08 久留米大学で古賀が講演予定・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)で笠谷和比古氏(日本国際日本文化センター名誉教授)が講演・筑紫野市「前畑遺跡筑紫土塁」保存の署名協力要請・『唯物論研究』138号発刊と内容説明・『古田史学会報』投稿要請・西村竣一氏(東京学芸大学元教授・日本国際教育学会元会長)の訃報・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会5〜7月会場変更の件(ドーンセンター)・3/27「古代史セッション」(森ノ宮)で正木氏が講演予定・今月の新入会員情報・『多元』に古賀論稿が掲載・その他

○服部編集長から『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』発刊の報告。(出版記念講演会を東京・福岡などで開催を企画中)


第1345話 2017/03/02

【巻頭言】

九州年号(倭国年号)から見える古代史

 今朝は久しぶりに仕事で和歌山市に向かっています。和歌山には化学工場が多く、化学メーカー同士で競合したり協力したりと、そのビジネス環境は複雑です。
 今月末頃に発行される『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(「古田史学の会」編、『古代に真実を求めて』20集)の宣伝も兼ねて、わたしが執筆担当した「巻頭言」を転載紹介します。なぜタイトルに従来の「九州年号」ではなく「倭国年号」を選んだのかの説明や本書の研究史的位置づけなどを記しています。

【巻頭言】
九州年号(倭国年号)から見える古代史
         古田史学の会・代表 古賀達也

 古代の中国史書に記された日本列島の代表国家「倭国」がいわゆる大和朝廷ではなく、北部九州に都を置いた九州王朝であることを古田武彦氏(平成二七年〔二〇一五〕没、享年八九歳)は名著『失われた九州王朝』(昭和四八年〔一九七三〕、朝日新聞社刊。ミネルヴァ書房より復刻)で明らかにされた。
 六世紀初頭、九州王朝は中国の王朝に倣い、自らの年号を制定した。その年号を古田武彦氏は「九州年号」という学術用語で論述されたのであるが、その命名の典拠は鶴峰戊申著『襲国偽僭考』に記された「古写本九州年号」という表記に基づく。九州年号を制定した倭国が自らの年号を当時なんと呼んだのかは史料上明らかではないが、恐らくは単に「年号」と呼んだのではあるまいか。あるいは隣国の中国や朝鮮半島の国々の年号と区別する際は「わが国(本朝)の年号」「倭国年号」等の表現が用いられたのかもしれない。もちろん、倭国が自国のことを「九州王朝」と呼んだりするはずもないであろうし、自らの年号を「九州年号」と称したということも考えにくい。
 今回、本書のタイトルを「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」と決めるにあたり、従来使用されてきた学術用語「九州年号」ではなく、あえて「倭国年号」の表現を選んだのは、「倭国(九州王朝)が制定した年号」という歴史事実を明確に表現し、「九州地方で使用された年号」という狭小な理解(誤解)を避けるためでもあった。古田武彦氏も自著で「倭国年号」とする表記も妥当であることを述べられてきたところでもある。もちろん学術用語としての「九州年号」という表記に何ら問題があるわけではない。収録された論文にはそれぞれの執筆者が選んだ表記を採用しており、あえて統一しなかったのもこうした理由からである。
 さらに、《大和朝廷以前》の一句をタイトルに付したのも、「倭国年号」の「倭国」は通説でいう大和朝廷には非ずという一点を、読者に明確にするためであった。本書の「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」というタイトル選定にあたり、編集部は多大な時間と知恵を割いたことをここに報告しておきたい。
 倭国(九州王朝)が制定した倭国年号(九州年号)は継躰元年(五一七)に始まり、大長九年(七一二)まで続いたと考えられている。他方、倭国(九州王朝)から王朝交代し、列島の代表者となった近畿天皇家(日本国)は初めての年号「大宝」(七〇一)を「建元」したことが『続日本紀』に見える。この時期に倭国から日本国へと、列島の中心権力が交代したことが、これら両国の年号からもうかがえ、その時代の日本列島のことを記した中国の史書『旧唐書』に「倭国伝」「日本国伝」が別国表記(日本国は倭国の別種)されていることとも見事に対応しているのである。さらには考古学的出土事実(木簡等)においても、倭国内の行政単位「評」が七〇一年から全国一斉に「郡」に代わったことも、この九州王朝から大和朝廷への王朝交代を反映していると考えざるを得ないのである。
 古田学派における倭国年号(九州年号)研究は、古田武彦氏の九州王朝説の提唱以来、全国各地の研究者により活発に進められてきた。その第一段階は諸史料に残された九州年号の調査探索であり、その集大成として『市民の古代』第十一集(市民の古代研究会編、新泉社。一九八九年)が「特集『九州年号』とは何か」として発刊された。次いで第二段階では九州年号の「年号立て(各年号の正しい順番と文字。暦年との対応など)」、すなわち原型論についての研究がなされた。その結論として、九州年号群史料としては現存最古の『二中歴』「年代歴」に見える九州年号が最も原型に近いとする説が最有力となり、さらに『二中歴』から漏れた「大長」年号が七〇一年以後に実在したことも明らかとなった。そして第三段階では、九州年号と九州年号史料に基づく九州王朝史研究へと発展した。その成果がミネルヴァ書房から刊行された『「九州年号」の研究 ー近畿天皇家以前の古代史ー』(古田史学の会編、二〇一二年)として結実したのであるが、本書はその続編あるいは姉妹編に相当する。
 本書は近年の九州年号研究の最先端論文を収録するにとどまらず、コラムとして各地の研究者による様々な九州年号関連記事も掲載した。この狙いは読んで面白いというだけではなく、読者にも九州年号研究の一翼に加われるという思いを共有していただける様々な切り口紹介という側面も有している。
 本書中、出色の研究成果は正木裕氏(古田史学の会・事務局長)による「九州王朝系近江朝」「近江年号」という新たな概念である。江戸期成立の諸史料に、天智天皇の時代の年号として「中元(六六八〜六七一年)」「果安(六七二年)」が散見されるのだが、従来は九州年号と見なされることはなく、言わば誤伝あるいは後世の創作の類ではないかとされ、九州年号研究者から取り上げられることもほとんどなかった。わたしの知るところでは、二〇一一年五月の「古田史学の会・関西例会」で竹村順弘氏(古田史学の会・事務局次長)が「天智の年号ではないか」と指摘されたくらいであった。
 その詳細は当該論文を読んでいただくこととして、この新概念は九州年号研究の延長線上で生まれたものであり、六〜七世紀の日本列島の古代の真実を探る上で有力な視点となる可能性を秘めている。中でも九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への中心権力の移行(王朝交代)の実体を研究するうえで、貴重な仮説と言わざるを得ない。まだ検証過程の「未証仮説」でもあり、読者からのご批判を待ちたい。
 以上のように、本書は倭国年号(九州年号)研究を新次元に引き上げるべく、野心的な論稿を収録した。「古田史学の会」が全ての日本古代史研究者や歴史ファンに是非を問う一冊なのである


第1344話 2017/03/01

2月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 2月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 2月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2017/02/01 『東京古田会ニュース』No.172が届く
2017/02/08 『季刊唯物論研究』の校正と英文タイトル
2017/02/18 愛知県一宮市の「賀」地名
2017/02/24 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』最終校正


第1342話 2017/02/27

『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』の目次

 今春発行予定の『古代に真実を求めて 古田史学論集第二十集』の目次が服部静尚さんから送られてきましたので、ご紹介します。「古田史学の会」2016年度賛助会員には1冊進呈します。お楽しみに。

『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』
          古田史学の会編
 A5判 192頁 定価2200円+税
 明石書店から3月中旬刊行
 ISBN978-4-7503-4492-8 C0321-E

 『日本書紀』『続日本紀』等に登場しない年号――それは大和朝廷(日本国)以前に存在した九州中心の王朝(倭国)が制定した独自の年号であり、王権交代期の古代史の謎を解く鍵である。九州王朝を継承した近江朝年号など倭国年号の最新の研究成果を集める。

〔巻頭言〕九州年号(倭国年号)から見える古代史 古賀達也

【特集】失われた倭国年号《大和朝廷以前》

Ⅰ 倭国(九州)年号とは

初めて「倭国年号」に触れられる皆様へ    西村秀己
「九州年号(倭国年号)」が語る「大和朝廷以前の王朝」    正木 裕
九州年号(倭国年号)偽作説の誤謬―所功『日本年号史大事典』『年号の歴史』批判―    古賀達也
九州年号の史料批判―『二中歴』九州年号原型論と学問の方法―    古賀達也
『二中歴』細注が明らかにする九州王朝(倭国)の歴史    正木 裕

失われた倭国年号

失われた倭国年号
《大和朝廷以前》

訓んでみた「九州年号」    平野雅曠
『書紀』三年号の盗用理由について    正木 裕

コラム① 九州王朝の建元は「継体」か「善記」か    古賀達也
コラム② 『二中歴』九州年号細注の史料批判    古賀達也
コラム③ 「白鳳壬申」骨蔵器の証言    古賀達也
コラム④ 同時代「九州年号」史料の行方    古賀達也
コラム⑤ 九州年号「光元」改元の理由    古賀達也
コラム⑥ 「告期の儀」と九州年号「告貴」    古賀達也
コラム⑦ 「元号の日」とは    合田洋一

Ⅱ 次々と発見される「倭国年号」史料とその研究
    
九州年号「大長」の考察    古賀達也
「近江朝年号」の研究    正木 裕
九州王朝を継承した近江朝廷―正木新説の展開と考察―    古賀達也
越智国・宇摩国に遺る「九州年号」    合田洋一
「九州年号」を記す一覧表を発見―和水町前原の石原家文書―    前垣芳郎
納音付き九州年号史料の出現―熊本県玉名郡和水町「石原家文書」の紹介―        古賀達也
納音付き九州年号史料『王代記』    古賀達也
兄弟統治と九州年号「兄弟」    古賀達也
天皇家系図の中の倭国(九州)年号    服部静尚
『日本帝皇年代記』の九州年号(倭国年号)    古賀達也
安土桃山時代のポルトガル宣教師が記録した倭国年号    服部静尚

コラム⑧ 北と南の九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑨『肥後国誌』の寺社創建伝承    古賀達也
コラム⑩ 「宇佐八幡文書」の九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑪ 和歌木簡と九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑫ 日本刀と九州年号    古賀達也
コラム⑬ 神奈川県にあった「貴楽」年号    冨川ケイ子
コラム⑭ こんなところに九州年号!    萩野秀公
コラム⑮ 東北地方の九州年号(倭国年号)    古賀達也

資料『二中歴』『海東諸国紀』『続日本紀』


第1338話 2017/02/19

住吉神は「筑紫の神」「軍神」

 昨日の「古田史学の会」関西例会では新視点からの研究報告が続き、触発されました。
 服部さんの報告では、倭国(九州王朝)が中国南朝(梁)の冊封体制から離脱するときの国際情勢(百済や北魏との関係)などについて論議が深まりました。
 岡下さんからは、「多利思北孤」は自署名ではなく隋側が選んだ文字ではないかとされました。その理由として、「北孤」の字義が天子にふさわしいものではないとされ、論争が巻き起こりました。
 原さんからは、住吉大社の祭神は「筑紫の神」「軍神」とされていることから、九州王朝による「常備軍」としての性格を持った神社だったのではないかとする意表を突く仮説が報告されました。また、住吉神社の祭神を祖と伝える氏族がないという調査結果なども示され、とても興味深いものでした。
 正木さんからは天孫降臨説話において「空白」となっている筑前や肥前、糸島、唐津の説話が神武記紀に盗用されているとして、その詳細を展開されました。
 発表者へは『古田史学会報』への投稿を要請しました。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人の歩み』紹介(奈良市・水野孝夫)
②倭国が冊封から離脱した理由(八尾市・服部静尚)
③魏志倭人伝の中の30カ国の考察(茨木市・満田正賢)
④原伝承上の、崇神帝・初国知らす(大阪市・西井健一郎)
⑤「金印」と志賀海神社の占い(京都市・古賀達也)
⑥「多利思北孤」について(京都市・岡下英男)
⑦住吉神社は常備軍で神領は駐屯地(2)・住吉大社での埴使の神事(2)(奈良市・原幸子)
⑧九州王朝の九州平定 筑紫糸島・肥前平定(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 1/22新春講演会の報告・『古田史学会報』投稿要請・下山昌孝氏(多元的古代研究会・元副会長)、荒金卓也氏(九州古代史の会・元代表)の訃報・文芸誌『飛行船』の大北恭宏氏「大知識人・坂口安吾」紹介・2/16 「大阪さくら会」の服部氏講演報告・2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)の案内(大阪夏の陣はなぜおこったか、笠谷和比古氏)・6/18「古田史学の会」会員総会と講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会会場確保の件・久留米市で「連玉(れんだま)」(弥生時代後期)が出土(犬塚幹夫氏からの情報)・その他


第1336話 2017/02/13

FaceBookで同時代九州年号史料を紹介

 竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)のお勧めで始めたFaceBookですが、とても重宝しています。特に写真を掲載できるというメリットは絶大です。「洛中洛外日記」のように文字情報だけで説明するのに比べて、FaceBookは写真や図でも説明できるので、その圧倒的な情報量により説得力が増し、効果的です。

 そうしたFaceBookの情報発信力や表現力を利用して、このところ同時代九州年号史料の解説を写真付きで連載しています。今まで、芦屋市から出土した「元壬子年」木簡、茨城県岩井市出土の「大化五子年」土器、福岡市から出土し行方不明になっている「白鳳壬申」骨蔵器などの紹介をしてきたところです。

 FaceBookの機能として、コメント欄に質問や意見、写真なども貼り付けられ、多くの読者が見ている中で双方向のやりとりができます。「洛中洛外日記」読者の皆さんもFaceBookに登録され、「友達承認」してバーチャルな古代史例会に参加されませんか。

 「古田史学の会」のFaceBookもあり、ホームページ「新古代学の扉」から閲覧が可能です。是非、ご覧ください。


第1335話 2017/02/13

『古田史学会報』138号のご案内

本年最初の『古田史学会報』138号が発行されましたので、ご紹介します。

一面には、古田先生から教えていただいた言葉「学問は実証よりも論証を重んじる」を次世代に伝えていきたいとする、わたしからの新年のご挨拶が掲載されました。二面では正木裕さんから、昨年発見された筑紫野市の巨大土塁の解説と「田身嶺・多武嶺」=大野城説の関連性について論じられました。
服部静尚さんからは九州王朝の諱(いみな)・字(あざな)という、今までにないテーマに挑戦された論稿が発表されました。新しい研究分野ですのでこれからの論争が期待されます。

わたしからは、九州王朝の「家紋」が「十三弁紋」とする説(口碑伝承)の紹介と、『日本書紀』に見える「倭京」の出現が前期難波宮存続期間に限られることから、その「倭京」記事には前期難波宮を「倭京」とするものがあるのではないかとする西村秀己さんのアイデアが作業仮説として成立する可能性について論じました。

このところ常連組の論稿が目立っています。他の研究者や新人の投稿をお待ちしています。なお、長文の原稿を送られる方もありますが、極端な字数オーバーは物理的に掲載不能で、採用対象から除外されます。長文の原稿は『古代に真実を求めて』に投稿してください。内容次第ですが、短い原稿ほど採用の可能性は高くなります。

138号に掲載された論稿・記事は次の通りです。
『古田史学会報』138号の内容
○2017年 新年のご挨拶
次世代に伝えたい古田先生の言葉 古田史学の会・代表 古賀達也
○太宰府を囲む「巨大土塁」と『書紀』の「田身嶺・多武嶺」・大野城 川西市 正木 裕
○九州王朝の家紋(十三弁紋)の調査  京都市 古賀達也
○諱と字と九州王朝 八尾市 服部静尚
○「倭京」の多元的考察 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅸ 倭国通史私案④
九州王朝の九州平定-怡土平野から周芳の沙麼へ
古田史学の会・事務局長 正木裕
○久留米大学公開講座(正木氏・服部氏)のお知らせ
○NHKカルチャー神戸教室(谷本茂氏)
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○2016年度会費納入のお願い
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1332話 2017/02/05

1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 1月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2017/01/04 本年7月に久留米大学で講演
2017/01/10 服部静尚さんが異業種交流会で講演
2017/01/12 古田先生の「年号」観
2017/01/17 『九州倭国通信』No.184のご紹介
2017/01/26 荒金卓也さんの訃報に接して
2017/01/28 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』再校