古田史学の会一覧

第1093話 2015/11/14

永禄三年(1560)成立

『赤淵大明神縁起』

 朝来市の赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』の研究を「洛中洛外日記」で連載したところ、金沢大学のKさんからメールをいただき、以来、学問的な交流が続いています。今回、Kさんから『赤淵大明神縁起』(松平文庫本)の存在を教えていただきました。いただいたメールによると、『赤淵神社縁起』は朝倉義景が永禄三年(1560年)に心月寺(福井市)の才応総芸に命じて作らせたとされる『赤淵大明神縁起』に酷似しているということなのです。

 そこで、先日拝見させていただいた赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』(活字本、天長五年成立)と比較したところ、オール漢字の『赤淵神社縁起』を読み下したものが『赤淵大明神縁起』であることがわかりました。しかも、『赤淵大明神縁起』は欠字が多く、『赤淵神社縁起』の方がより祖形であると判断できました。

 しかも両者は恐らく同系統の原本に基づいていると考えられます。その根拠の一つは、冒頭近くにある次の文の※部分の字が共に欠字となっており、既に※の部分が欠字となった共通の原本(の系統)によったと考えられるからです。

 「吾朝大日※字之上具足国也雖為小国号大日本国」(『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本)

 「吾ガ朝ハ大日※字ノ之上ニ□テ?□足スル国也、小国為リトイヘドモ、大日本国ト号ス、」(『赤淵大明神縁起』松平文庫本)
〔古賀注〕「※」「□」は欠字。「?」は活字が読みとれませんでした。

 この他にも、『赤淵大明神縁起』では九州年号の「常色元年」(647年)という表記が「常□元年」(□は欠字)となっていたり「常常元年」となっている部分があり、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の方が良好な写本です。しかも、『赤淵大明神縁起』松平文庫本の末尾には書写年次は「永禄三年庚申六月六日 総芸 判」と記されていますが、書写原本の成立年次「天長五年」(828年)は記されていません。もちろん、最終的には活字本ではなく原本での確認が必要です。

 この『赤淵大明神縁起』松平文庫本により、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の書写原本、あるいは同系統本の存在が永禄三年(1560年)までは確実に遡れることとなりました。

 心月寺(福井市)の才応総芸に『赤淵大明神縁起』の作成を命じた朝倉義景は表米宿禰の子孫ですから、みずからの出自が7世紀の表米宿禰であり、表米宿禰は孝徳天皇の皇子であるとする『赤淵大明神縁起』やその伝承を重要視していたことは確かでしょう。こうして、平安時代成立の九州年号史料『赤淵神社縁起』の研究はまた一歩進展しました。こうなると学問のためにも、赤淵神社所蔵原本を拝見する機会を得たいと願っています。


第1090話 2015/11/10

「古田武彦先生追悼講演会」

  のご案内済み

 10月14日に御逝去された古田先生の追悼講演会を、来年1月17日(日)、大阪市浪速区の「大阪府立大学なんばサテライト(I-siteなんば)」にて執り行うことといたしましたので、取り急ぎご案内申し上げます。

 年内に京都で開催すべく検討を進めてきましたが、時節柄会場や宿泊施設の確保が困難なため、「古田史学の会」が予定していました新年講演会の会場をそのまま利用し、「古田武彦先生追悼講演会」とすることにしました。なお、『古田史学会報』などでご案内したとおり、新井宏氏にご講演いただきます。

 既に、松本深志高校時代の教え子、北村明也様(古田史学の会・松本)や御遺族(古田光河様)らのご臨席のご承諾もいただいています。また、東北大学の御後輩で日本思想史学会前会長の佐藤弘夫教授からもメッセージをいただけるはこびです。

 ご来賓や式次第などの詳細は決まり次第、ご報告いたします。古田先生とのお別れに多くの皆様にご臨席賜りますよう、お願い申しあげます。なお、主催は「古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)」「多元的古代研究会」「古田史学の会」の三団体で、ミネルヴァ書房様協賛での開催となります。

古田武彦先生追悼講演会のご案内済み

期日 2016年 1月17日(日)午後1時から4時30分まで
場所 大阪府立大学I-siteなんば2階C会議場
カンファレンスルーム住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2階
大阪府立大学I-siteなんばの交通アクセスはここから。

南海電鉄難波駅なんばパークス方面出口より
南約800m 徒歩12分
地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より
南約1,000m 徒歩15分
地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)
1号出口より東約450m 徒歩7分

講演
1).追悼式 午後1時〜2時30分
2). 古代史講演会 午後3時〜4時30分

「鉛同位体比から視た平原鏡から三角縁神獣鏡」
新井 宏氏

銅鏡に含まれる鉛同位体の分析から、「三角縁神獣鏡の大部分は複製を含めた国産である」とされている冶金学者で『理系の視点からみた「考古学」の論争点』などの著書があります。
(韓国国立慶尚大学招聘教授)

 

なお終了後、懇親会(別途申込)も実施されます。

参加費 無料

第1087話 2015/11/03

慟哭の10月

 今日は会社で『フリードランダー』(FRIEDLANDER  FORTSCHRITTE DER TEERFARBEN-FABRIKATION 1887-1890)を書庫から探し出して読みました。同書はドイツの有機合成化学の論文集で、現在進めている開発案件が暗礁に乗り上げたため、もう一度古典的合成ルートから確認する必要を感じて読んだものです。表紙もかなり痛んでいる貴重書で、国内で所蔵しているところはかなり珍しいでしょう。
 Dr.Rudolf Nietzki による1890年の論文を探すのが目的でした。日本で言えば明治時代の論文なのですが、今から120年以上も前にドイツではこれだけの化学研究水準だったのかと感動しました。その一部は今でも実際に工業的に使われている化学反応ですから、当時のドイツの工業力や化学技術力はすごいものです。これでは欧米列強により日本以外の有色人種の国々が植民地となり、奴隷状態におかれたのも残念ながらよく理解できます。本当に明治維新による近代化が間に合って、日本国民は幸福でした。
 同書はドイツ語で書かれていますから、最初はほとんど理解できませんでしたが、読んでいるうちに40年前に学校で習ったドイツ語(工業ドイツ語)の単語が少しずつよみがえり、何とか目的の論文であるかどうかは判断できるようになりました。10代の頃習ったドイツ語が還暦になって役立つとは、不思議な感じです。

 10月14日に古田先生が亡くなられ、「慟哭の10月」となりました。「慟哭」の出典は『論語』です。

 「顔淵死す。子、之を哭して慟す。従者曰く、子慟せりと。曰く、慟する有りしか。夫(か)の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせんと。」
              『論語』先進第十一

 「夫(か)の人」最愛の弟子、顔淵の死に、孔子が慟哭したというものです。わたしは尊敬する師を失い、「慟哭の10月」でした。

 その「慟哭の10月」に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される会員は担当(竹村順弘事務局次長)まで、メールでお申し込みください。

10月の「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル

2015/10/03 王仲殊さんご逝去
2015/10/10 映画「図書館戦争」(テレビ録画)の感想
2015/10/11 五戸弁護士からのお礼状
2015/10/13 金沢大学4年生、Kさんからのメール
2015/10/14 『歴史読本』休刊と出版事業の課題
2015/10/17 各界・各氏から弔意のお電話とメール来信
2015/10/22 学士会館での三団体協議
2015/10/27 学士会館での懇談余話
2015/10/31 フェスタ’15 JTCC近畿で講演


第1086話 2015/11/01

大好評! フェスタ’15 JTCC講演会

 昨日、大阪市中央区のエル・おおさかで開催された「フェスタ’15 JTCC近畿」(主催 JTCC近畿:日本繊維技術士センター)で、「理系が読む『倭人伝』 -「邪馬台国」女王卑弥呼の末裔-」というテーマで講演し、邪馬壹国説や九州王朝説、九州年号論までご紹介しました。わたし自身もおどろくほどのご好評をいただき、参加されていた他の団体役員の方から2件の講演依頼までいただきました(大阪・名古屋)。
 わたしの前にご講演された東洋紡株式会社・代表取締役会長の坂元龍三さんからも会場最前列でわたしの話をお聞きいただき、過分のお言葉をいただきました。その後の懇親会場でも、多くの方から次々とご質問をいただきましたし、名刺交換も多数させていただきました。
 染料合成化学の第一人者で大先輩の安部田貞治先生(住友化学OB。同氏の著書や論文で、わたしは若い頃、染料合成化学を学びました)からは、以前、わたしが講演した機能性色素の話よりも面白かったと、微妙なお褒めの言葉を賜りました。わたしの機能性色素の講演は面白くなかったのかと、ちょっと複雑な気持ちになり、苦笑いしました。11月末にも大阪中之島(繊維機械学会)で機能性色素の講演をするのですが、安部田先生から猛烈なプレッシャーをかけられてしまいました。
 「古田史学の会」の会合があるため、懇親会を途中で退席したいと申し上げたところ、司会の方がマイクで会場の皆さんに「講師の古賀さんが御用事で退席されますので、質問される方は今の内にお願いします。」とアナウンスまでしていただきました。
 古田説・九州王朝説をご存じない方はまだまだ多く、それだけにこうした講演で、初めて知った方々からの反響が大きいということでしょう。これからも、もっともっと積極的に講演活動を進めたいと思いました。主催者の方々をはじめ聴講していただいた皆様に心より御礼申し上げます。


第1082話 2015/10/25

桂米團治さんのブログに古田先生の訃報

 KBS京都放送のラジオ番組「本日、米團治日和。」に古田先生と出演させていただいたことなどがご縁となり、桂米團治師匠には何かとお気遣いいただいています。その米團治師匠のオフィシャルブログに古田先生の訃報が掲載されています。これも有り難いことです。米團治師匠のご了解をいただきましたので、転載紹介させていただきます。

「五代目 桂米團治ブログ」より転載

2015.10.16 《古田武彦さん、逝去》
 10月14日(水)、歴史学者の古田武彦さんがお亡くなりになりました。享年89歳。
 常に文献に偏見なく向き合い、独自の解釈で古代史学界に“喝”を入れた先生──。
 私はただただ古田武彦著書の一愛読者だったのですが、今年、ひょんなことからKBS京都ラジオの私の番組へ古田武彦さんをお招きすることが叶ったのです。
 かなりのご高齢で、もう講演活動もされておられない状況である中、無理を承知で打診してみたところ、「出ます!」というご快諾の返事をいただきました。
 8月29日(土)、ご長男の光河さんに付き添われてスタジオ入りした先生は、明瞭なお声で私のインタビューに応じて下さいました。
 お弟子さんの古賀達也さんも加わっての古代史談義は、なんと二時間以上続いたのです!
 私が少しでも論理に合わないことを言えば賺さず「いや、それは違う」と質され、どんな質問にも丁寧に答えて下さいました。
 逆に、私の話す内容に賛同された時など、スタジオに響き渡るような声で「その通り!」と絶叫されました(*^o^)/
 「これからはどんな研究をなさりたいですか」との私の問いかけに対しては、「やるだけのことはやりました。もう思い残すことはありません。あとは弟子たちが頑張ってくれるでしょう」との返答。
 9月に入り、その模様が三週にわたり紹介されましたが、それが古田武彦さんの最後の放送となりました。
 先生の遺志は必ずや「古田史学の会」の皆さんが受け継いで下さることでしょう。
 勇気と感動を与えて下さり、本当に本当にありがとうございました!    ご冥福をお祈り致します。


第1081話 2015/10/24

古田先生から娘への贈り物

 古田先生からいただいた「宝物」の一つに、娘への贈り物があります。1992年11月に「市民の古代研究会」主催の全国研究集会を京都御所の西にある私学会館で開催したとき、当時3歳の娘を連れて先生にご挨拶しました。そのとき、新泉社から発行されたばかりの古田先生の著書『すべての日本国民に捧ぐ 古代史--日本国の真実』にサインをお願いしたところ、次の一文を記していただきました。

 「古賀小百合様
  いつもひとりで歴史の真実を求めて来た者です。わたしのいなくなった二十一世紀、あなたのいのちを見守っています。おしあわせに。
   一九九二.十一月二十九日 京都 私学会館にて
              古田武彦」

 このときの全国研究集会は「市民の古代研究会」の総力を挙げて取り組んだ一大イベントでした。当時、わたしは同会事務局長でしたので、成功させるために会場や宿泊施設の手配などを一手に引き受けていました。「市民の古代研究会」の会員数や影響力が最も華やかな一瞬でした。
 しかし理事会内部は一部理事による「古田離れ」がまさに開始される直前の時期でした。この二年後の1994年、「市民の古代研究会」は古田支持の少数派理事と反古田の多数派理事とで分裂に至り、わたしは水野孝夫さん(古田史学の会・前代表)らと共に「古田史学の会」を創立しました。このようなとき、娘にいただいた古田先生のサイン本は我が家の家宝となりました。


第1080話 2015/10/23

古田先生からいただいた宝物

 わたしが31歳のとき、古田先生に初めてお会いしたのですが、先生からはいくつかの「宝物」をいただきました。今回はその中の一つをご紹介します。
 それは2000年5月26日にいただいた、古田先生の自筆原稿「村岡典嗣論 -時代に抗する学問-」です。古田先生の東北大学時代の恩師、村岡典嗣先生を学問的に乗り越えるべく執筆された記念碑的論稿と言ってもよいでしょう。同論文は『古田史学会報』38号(2000年6月)に掲載されましたが、その自筆原稿をわたしにくださったのです。それには次の一文が付されていました。

 「この『村岡典嗣論』わたしにとって記念すべき論稿です。お手もとに御恵存賜らば終生の幸いと存じます。
  二〇〇〇 五月二十六日  古田武彦 拝
 古賀達也様」

 古田先生ご逝去により、『古代に真実を求めて』19集を追悼号としますが、この古田先生自らが「記念すべき論稿」として託された自筆原稿を巻頭写真に掲載し、同論稿を再録したいと思い、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)に検討を要請しました。この自筆原稿をいただいてから15年も経つのかと思うと、感無量です。もう一度、しっかりと読み直したいと思います。


第1077話 2015/10/17

悲しみと励ましの関西例会

本日の関西例会はいつもとは少し異なり、重苦しい雰囲気が感じられました。というよりも落ち込んでいるわたしを皆さんにおもんばかっていただいたためでした。
 お昼休みに開催した「古田史学の会」役員会では古田先生のご逝去により、「偲ぶ会」の検討や『古代に真実を求めて』追悼特集について打ち合わせを行いました。午後の部の冒頭では参加者全員で黙祷しました。
 例会後の懇親会には桂米團治さんが駆けつけていただきました。米團治さんはは住吉での落語会を終えた後、懇親会に参加していただいたものです。 有り難いことです。今日は姫路市で落語会とのことでした。これからの米朝一門を立派に牽引されていかれることでしょう。皆さんに励まされた一日でした。
 10月例会の発表は次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
①本朝皇胤紹運録の中の九州年号(八尾市・服部静尚)
②新唐書日本伝の史料批判(八尾市・服部静尚)
③「副葬」は「廃棄」である(京都市・岡下英男)
④仮説、「国伝」(姫路市・野田利郎)
⑤盗まれた九州王朝の「難波宮」と「吉野宮」の歌(川西市・正木裕)
⑥「ニギハヤヒの位置付け」及び「神武の東征はなかった」の補足(東大阪市・萩野秀公)
⑦六国史の「皇祖母」(高松市・西村秀己)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(10月14日22時13分、西京区の桂病院にてご逝去)・史跡ハイキング(関大博物館・他)・「最勝会」の研究・高橋崇『藤原氏物語 栄華の謎を解く』・水野孝夫「泰澄と法蓮」会報74号・その他


第1076話 2015/10/15

古田武彦先生ご逝去の報告

 古田武彦先生が昨日ご逝去されました(享年89歳。10月14日午後10時13分、搬送先の桂病院にて)。謹んで皆様にご報告申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、古田先生の御遺命により、葬儀は執り行われず、ご親族によるお別れがなされます。「古田史学の会」としましては、友誼団体ともご相談の上、「お別れ会」(仮称)を執り行います。日時・会場など詳細が決まりましたら改めてご報告申し上げます。
 また、「九州年号特集」を予定していました『古代に真実を求めて』19集(来春発行)は「古田武彦先生追悼号」に変更させていただきます。
 先生の御遺志と学問、古田史学・多元史観をこれからも継承発展させることをお誓い申し上げます。

 平成27年(2015)10月15日
         古田史学の会 代表 古賀達也

古田武彦研究年譜を掲載


第1074話 2015/10/12

『古田史学会報』130号のご紹介

 『古田史学会報』130号が発行されましたのでご紹介します。今号は近年まれにみるバラエティに富んだ内容となりました。
まず投稿者のご住所が北海道2名(今井・阿部)、四国2名(合田・西村)と、関西の常連組に負けず劣らずの活躍です。

 内容は更に多岐にわたり、桂米團治さんのオフィシャルブログからも転載させていただきました。米團治さんと古田先生の出会いやKBS京都ラジオ放送「本日、米團治日和。」のご紹介などがなされたものです。西村稿は古代史から離れて夏目漱石の『坊ちゃん』が題材です。正木さんの連載「『壹』から始める古田史学」も快調です。

 法隆寺釈迦三尊像光背銘にある「鬼前」「干食」の出典が仏典にあったとする正木稿はとても興味深い仮説です。今後の議論の発展が期待されます。
掲載稿は下記の通りです。

『古田史学会報』130号の内容
○「・多利思北孤・鬼前・干食」の由来  川西市 正木裕
○「権力」地名と諡号成立の考察  京都市 古賀達也
○「仲哀紀」の謎  千歳市 今井俊國
○九州王朝にあった二つの「正倉院」  松山市 合田洋一
○「熟田津」の歌の別解釈(一)  札幌市 阿部周一
○「壹」から始める古田史学2
古田武彦氏が明らかにした「天孫降臨」の真実  古田史学の会・事務局長 正木裕
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
○『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会の報告  服部静尚
○「坊ちゃん」と清  高松市 西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○年会費未納者へのご入金要請
○編集後記 西村秀己


第1066話 2015/10/01

古田史学の会 facebook」のご紹介

 武蔵国分寺調査でお世話になった肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)のブログ「肥さんの夢ブログ」に、「上野(こうづけ)三碑」(山上碑・多胡碑・金井沢碑)が世界文化遺産候補になったことが紹介されていました。関東にはなぜか古代石碑が他地域よりも残っており、「上野三碑」はその代表的なものです。関東に多く残っていることは、九州王朝との関連がありそうですが、この問題は別の機会に考察したいと思います。
 世界文化遺産候補として「上野三碑」と共に「命のビザ」で有名な杉原千畝(すぎはら・ちうね)さんの遺品も候補になったとのことですが、第二次世界大戦中に外交官としてナチスドイツの迫害から大勢のユダヤ人を救った杉原さんの業績が注目されることは日本人としても誇らしいことです。
 20年ほど昔のことですが、わたしは杉原千畝さんの奥様の幸子さんの講演を聞いたことがあります。戦火の中、逃げまわっていたとき、ロシア軍の機銃掃射を受けたそうで、そのときドイツ軍青年将校が身を挺して守ってくれた思い出を語られていました。青年将校は奥様の上に覆いかぶさり、被弾して亡くなられたとのこと。とても紳士的な青年将校だったそうです。
 さて、「古田史学の会」ではfacebookを設置しました。竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)が作られたものですが、関西例会や遺跡巡りハイキングの写真などが満載で、とても良い内容になっています。「古田史学の会 facebook」で検索してください。「いいね」やコメントも是非お願いします。
 9月に希望会員に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信希望される会員はこの機会に申し込んでください。

「洛中洛外日記【号外】」9月配信のタイトル
日付    タイトル
2015/09/01 百田尚樹『大放言』を読む
2015/09/07 「東京古田会」「多元の会」の皆さんと懇親会
2015/09/10 KBS京都放送「本日、米團治日和」オンエア!
2015/09/12 発刊記念東京講演会の反省会
2015/09/15 「古田史学の会 facebook」準備中
2015/09/20 青年時代の古田先生の憲法観
2015/09/23 『月刊 加工技術』連載コラム 日本列島発のコーティング技術「漆」
2015/09/26 「古田史学の会 youtuve」企画中
2015/09/27 facebookに悪戦苦闘中


第1064話 2015/09/29

「古田史学の会・まつもと」の皆さんと懇談

 今日から北陸・信州・名古屋と出張です。富山からは北陸新幹線で長野に入り、仕事と行程の都合から松本市で宿泊です。ちょうどよい機会ですので、「古田史学の会・まつもと」の北村明也さん、鈴岡潤一さん(松本深志高校教諭)と夕食をご一緒し、その後、村田正幸さんと歓談しました。北村さんは松本深志高校での古田先生の教え子さんで、村田さんは「古田史学の会」全国世話人を引き受けていただいています。北村さん・鈴岡さんとは「古田史学の会」の展望について意見交換し、村田さんからは長野県に分布する「高良社」「高良明神」などの調査結果の説明があり、なぜ筑後地方神とされる「高良神」が信州に数多く祀られるのかについて論議しました。いずれも楽しく有意義な一夕となりました。
 お会いする約束をいただくため、事前に北村さんにお電話したのですが、突然のわたしからの電話に、「古田先生に何かあったのですか」と驚かれていました。ちょっと申しわけない気持ちと、古田先生を気遣い慕う教え子さんたちの思いが、60年以上たった今日でも続いていることに感動を覚えました。
 今日、初めて北陸新幹線に乗りましたが、内装もきれいですし、シートに着いている枕は上下に移動するという優れものでした。金沢駅から富山駅まで乗り、その後、黒部宇奈月温泉駅から長野駅まで利用しましたが、いずれの駅も積雪に耐えられるように、ホームの屋根を支える鉄骨は京都駅などには見られないような頑丈な作りでした。さすがは雪国の新幹線仕様です。聞けば、様々な降雪対策が施されているとのことですので、岐阜・米原間の降雪でよく止まる東海道新幹線も見習ってほしいものです。なお、「黒部宇奈月温泉駅」は新幹線の駅名としては最も長い名前とのことでした。
 松本には仕事ではなく、次回はプライベートな旅行で訪れたいと思いました。