古田史学の会一覧

第3318話 2024/07/05

読んでおきたい、古田武彦「風土記」論

 『古代に真実を求めて』28集の特集テーマ「風土記・地誌の九州王朝」の企画構成案を練っています。ある程度まとまれば、編集会議を招集して提案し、編集部員のご意見や企画案も聞かせていただく予定です。

 自らの投稿原稿についても執筆準備をしています。それに先だち、古田先生の「風土記」関連論文の読み直しも進めています。古田「風土記」論を久しぶりに集中して勉強していますが、その代表的関連論文を紹介します。特集論文の投稿を予定されている方にも読んでおいていただきたいものばかりです。なぜか、古田先生にしては『風土記』関連論文は比較的少なく、読破はそれほど難しくはありません。以下、そのジャンル分けを示します。

 まず、風土記全般の重要テーマである、「県(あがた)」風土記と「郡(こおり)」風土記について論じたものが、❶❷❺❿⓫です。「県」風土記が九州地方に遺っていることから、九州王朝風土記(筑紫風土記)の存在という古田「風土記」論にとって不可欠の研究分野です。

 『常陸国風土記』に関わって論じたものが、❸。『出雲国風土記』に関わって論じたものが、❸❻❼❽⓬⓭。『播磨国風土記』に関わって論じたものが、⓮。 「筑後国風土記逸文」と卑弥呼について論じたものが、❹❾です。いずれも懐かしいものばかりです。

 《古田武彦「風土記」論 主要論文一覧》
「九州王朝の風土記」『市民の古代』第4集、新泉社、昭和57年(1982)。
「九州王朝にも風土記があった」『よみがえる九州王朝』角川選書、昭和58年(1983)。
❸「日本列島各地の神話」『古代は輝いていたⅠ――『風土記』にいた卑弥呼』朝日新聞社、昭和59年(1984)。
❹「卑弥呼論」『古代は輝いていたⅠ――『風土記』にいた卑弥呼』朝日新聞社、昭和59年(1984)。
❺「二つの『風土記』」『古代は輝いていたⅢ――』朝日新聞社、昭和60年(1985)。
「国造制の史料批判――出雲風土記における「国造と朝廷」」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、昭和62年(1987)。
❼「部民制の史料批判――出雲風土記を中心として」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、昭和62年(1987)。
❽「続・部民制の史料批判――「部」の始原と発展」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、昭和62年(1987)。
「卑弥呼の比定――「甕依姫」説の新展開」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、昭和62年(1987)。
❿「九州王朝の短里――東方の証言」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、昭和62年(1987)。
⓫「二つの風土記と二つの里程」『倭人伝を徹底して読む』大阪出版、昭和62年(1987)。
⓬「出雲風土記の中の古代公害病」『古代は沈黙せず』駸々堂、昭和63年(1988)。
「縄文文明を証明する「国引神話」」『吉野ヶ里の秘密』光文社、平成1年(1989)。
「播磨風土記」『市民の古代』第12集、新泉社、平成2年(1990)。

 この他にも、古田先生の重要論文があるかもしれません。ご教示いただければ幸いです。また、古田学派研究者による重要論文もあり、別の機会に紹介します。


第3317話 2024/07/03

『古代に真実を求めて』

     28集の特集テーマ

 「古田史学の会」の会員論集『古代に真実を求めて』28集の特集テーマは「風土記・地誌の九州王朝」です。風土記や地誌を研究対象として、そこに遺された九州王朝や多元史観の痕跡を論じ、論文やフォーラム・コラムとして投稿してください。地誌の場合、その成立が中近世であっても、内容が古代を対象としており、適切な史料批判(古代の真実を反映していることの証明)を経ていれば、古代史研究のエビデンスとして採用できます。

 具体的には、現存する五つの風土記(常陸国・播磨国・出雲国・肥前国・豊後国)と風土記逸文が研究の対象になります。地誌は各地にあり、成立時期や史料性格(公的か私的か。編纂目的)が異なりますから、採用にあたっては当該史料の性格や概要の説明が必要です。これは読者に対しても必要な配慮ですので、ご留意下さい。この点、現存五風土記の場合は著名ですし、学界で古代史料として認められていますから、出典の明示があれば問題はないでしょう。

 ご参考までに、閲覧・入手が比較的可能で著名な九州地方の地誌を管見の範囲で紹介します。会員の皆さんからの、後世に残すべき優れた多元史観の論文、読んで勉強になり、かつ面白い投稿をお待ちしています。

○『太宰管内志』伊藤常足、天保12年(1841)〈歴史図書社、昭和44年(1969)〉
○『筑前国続風土記』貝原益軒、宝永6年(1709)〈文献出版、昭和63年(1988)〉
○『筑前国続風土記付録』加藤一純・鷹取周成、寛政11年(1799)〈文献出版、昭和52年(1977)〉
○『筑前国続風土記拾遺』青柳種信、文化11年(1814)〈文献出版、平成5年(1993)〉
○『筑後志』杉山正仲・小川正格、安永6年(1777)〈久留米郷土研究会編、昭和49年(1974)〉
○『肥前旧事』南里有隣編著・糸山貞幹増訂、江戸後期〈『肥前叢書 第一輯』肥前史談会編、青潮社、昭和48年(1973)〉
○『肥前古跡縁起』大木英鉄、寛文5年(1665)〈『肥前叢書 第一輯』肥前史談会編、青潮社、昭和48年(1973)〉
○『肥後国誌』森本一瑞、明和9年(1772)〈青潮社、昭和46年(1971)〉
○『豊前志』渡辺重春、文久3年(1863)〈雄山閣、昭和46年(1971)〉
○『豊後国誌』唐橋君山・田能村竹田・伊藤猛、享和3年(1803)〈文献出版、昭和50年(1975)〉
○『三国名勝図会』天保14年(1843)〈青潮社、昭和57年(1982)〉※日向・大隅・薩摩の地誌。


第3316話 2024/07/02

『古代に真実を求めて』28集

        の投稿募集要項

 「古田史学の会」の会員論集『古代に真実を求めて』28集の投稿締め切り日は本年9月30日です。特集テーマは「風土記・地誌の九州王朝」です。下記の規定に従ってご投稿ください。

①特集論文・一般論文(一万五千字以内)、フォーラム(随筆・紀行文など。五千字以内)、コラム(解説小文。二千字程度)を募集します。
論文は新規の研究であること。他誌掲載論文、二重投稿、これに類するものは採用しません。それとは別に、編集部の判断に基づき、他誌掲載稿を転載することがあります。
②採用稿を本会ホームページに掲載することがありますので、ご承諾の上、投稿してください。
③28集の特集テーマは「風土記・地誌の九州王朝」です。古田史学・多元史観の継承発展に寄与できる論文をご投稿ください。
④投稿は一人四編までとします〔編集部からの依頼原稿を除く〕。
⑤投稿締め切り 令和六年(二〇二四)九月末
⑥原稿はワード、またはテキストファイル形式で提出して下さい。ワードの特殊機能(ルビ、段落自動設定など)は使用しないで下さい。ルビは()内に付記してください〔例 古田史学(ふるたしがく)〕。

 掲載する写真や表は、文書ファイルとは別に写真ファイル・エクセルファイルとして提出して下さい(ワード掲載写真は画像が不鮮明になるため)。その際、写真・表の掲載位置を原稿中に指示してください。
⑦投稿先 古賀達也まで。詳しくは27集末尾の投稿要項をご覧下さい。

 以下は採用審査における基本視点と執筆上の諸注意です。ご留意下さい。

Ⅰ.審査時の視点
(1) 「新規性」と「進歩性」
この二点が無ければ不採用となります。

(2) エビデンスの明示、エビデンスに対する解釈の合理性と普遍性
提示したエビデンス(史料事実や出土事実)が間違っていたり、不適切な論稿は審査以前の問題で、失格です。解釈の当否は重要な審査対象となります。ここで新説としての優劣を判断します。

(3) 先行説(特に古田説)の紹介と自説との比較説明
古田史学支持者が主たる読者である「古田史学論集」への投稿ですから、古田説と異なる新説については、古田説の正確な引用・紹介と丁寧な説明が要請されます。

(4) 話題性、面白さ、わかりやすさ、字数・文章の簡潔性
これらは読者への配慮であり、出版事業としても不可欠の視点です。

Ⅱ.論文の構成と様式

(1) 冒頭に要旨と結論を略記してください。学術論文は推理小説ではありませんから、読み進めなければ結論がわからないような構成は不適切です。短文の場合はこの限りではありません。

(2) 引用・参照文献の紹介と後注の書式について。
書式例) 著者名「論文名」『文献名』発行社、発行年次(西暦、必要であれば年号を併記)。
例) 古田武彦『「邪馬台国」はなかった ―解読された倭人伝の謎―』朝日新聞社、一九七一年。ミネルヴァ書房より復刻。
例) 中島恒次郞「日本古代の大宰府管内における食器生産」『大宰府の研究』高志書院、二〇一八年。

(3) 縦書きを前提として、漢数字と英数字を使い分けてください。難字にはルビをふってください。


第3315話 2024/07/01

予期せぬ成果、

     公開講座聴講者に異変あり

 二十数年ぶりの同窓会(久留米高専化学科11期・昭和51年卒)と久留米大学公開講座での講演を盛会に終えることができました。昨晩からの大雨で、JR在来線がだだ遅れなので、久留米駅から九州新幹線みずほで新大阪まで向かっています。みずほは車両がグリーン車と同じ4列シートですからお得感があります。また、内装やシートの造りも高級感にあふれ、とても気に入っています。

 二十年ほど前に、仕事でJR九州の車両内装の製品開発を行ったことがありますが、JR九州の専属デザイナーは色やデザイン、素材にこだわる芸術家で、少々、コストがかかっても優れたものを使いたいという人物でした。ですから、わたしも初めて手がける素材(採用されていれば、恐らく車両用途としては世界初)でしたので、試行錯誤しながら開発を進めたことを覚えています(守秘義務があり、これ以上は申せませんが)。そうした経験もあって、わたしは九州新幹線やJR九州のファンです。

 昨日の公開講座のあと、久留米大学の福山教授や長崎市から参加さている聴講者の中村秀美さん(古田史学の会・会員)、菊池さん(久留米市)と夕食をご一緒させて頂きました。中村さん・菊池さんには和田家文書研究でもご協力いただいており、中村さんには長崎出島オランダ語通詞の調査もしていただきました(注①)。夕食会では、気になっていたことを福山先生にたずねました。

 「今日の講演会の参加者は若者が多く、見たところ四人に一人は40代以下のようでした。なかには20代の女性もいました。これは今までにはなかったことと思いますが、募集方法でも変わったのでしょうか。」

 「わたしも始めて見る方が少なくありませんでした。今回の受講者70名強の内、初めての参加者が40名もあり、驚いています。コロナあけということもあり、古くからのリピーターは減少していますが、初参加者が急増した理由はわかりません。」

 「どこでこの講座のことを知ったのかなどの調査はされていませんか。」

 「次週の正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の講演時にアンケート調査を予定しています。」

 「是非、その調査結果を教えて下さい。若い人々に古田史学・古田説を伝えるにはどのようなアプローチが効果的なのか、そうしたニーズはどこにどの程度存在するのか、わたしたちも苦慮しています。今回のような〝予期せぬ成果〟の出現は、マーケティングでも顧客クレームと同様に重視すべきこととされています。よろしくお願いします。」

 このような会話を交わしました。おそらく、わたしたちが気づかないところで、日本人の意識や社会構造に変化が起こっているはずです。そのことに誰よりも早く気づき、まだ誰もやったことのない新たなムーブメントやサービスを提供した者だけが時代(業界)の先駆者となり、その中の誰かが勝者になるはずてす。帰宅したら、ドラッカーの『非営利組織の経営』(注②)を読み直し、改めて勉強しなおしたいと思います。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3068~3071話(2023/07/14~17)〝秋田孝季の父、橘左近の痕跡調査(1)~(2)〟
②P.F.ドラッカー『非営利組織の経営』ドラッカー名著集4、ダイヤモンド社、2007年。


第3311話 2024/06/26

『倭国から日本国へ』出版記念

    東京講演会(7/28)のご案内

 本年4月に明石書店から出版された『倭国から日本国へ』(『古代に真実を求めて』27集、古田史学の会編)の出版記念東京講演会を開催します。同書は、倭国(九州王朝)から日本国(大和朝廷)への王朝交代を特集したもので、様々な視点による古田学派研究者の論稿を収録しました。

 奈良や大阪での出版記念講演会に続き、7月28日(日)に東京の文京区民センターで下記の通り、開催します。会場では同書の特価販売も行います。多くの皆様の参加をお待ちしています。講師は正木裕さん(古田史学の会・事務局長)とわたしです。関東の皆様にもお聞き頂ければ幸いです。

『倭国から日本国へ』出版記念
東京講演会のご案内
■日時 2024年7月28日(日) 13:30開会 16:30終了
■会場 文京区民センター 2A会議室 (文京区本郷4-15-14)
■演題・講師
多元的「天皇」号の成立
―九州王朝の天子と諸国の天皇たち― 古賀達也
「王朝交代」と二人の女王
―武則天と持統― 正木 裕
■参加費 1,000円
■主催 古田史学の会
■協力 東京古田会・多元的古代研究会

『倭国から日本国へ』目次
【巻頭言】
三十年の逡巡を越えて 古田史学の会 代表 古賀達也
【特集】倭国から日本国へ
「王朝交代」と消された和銅五年(七一二)の「九州王朝討伐戦」 正木 裕
王朝交代期の九州年号 ―「大化」「大長」の原型論― 古賀達也
難波宮は天武時代「唐の都督薩夜麻」の宮だった 正木 裕
飛鳥「京」と出土木簡の齟齬 ―戦後実証史学と九州王朝説― 古賀達也
『続日本紀』に見える王朝交代の影 服部静尚
「不改常典」の真意をめぐって ―王朝交代を指示する天智天皇の遺言だったか― 茂山憲史
「王朝交代」と二人の女王 ―武則天と持統― 正木 裕
「王朝交代」と「隼人」 ―隼人は千年王朝の主だった― 正木 裕
倭国から日本国への「国号変更」解説記事の再検討 ―新・旧『唐書』における倭と日本の併合関係の逆転をめぐって― 谷本 茂
《コラム》「百済人祢軍墓碑銘」に〝日本〟国号はなかった! 谷本 茂
【一般論文】
『隋書』の「俀国」と「倭国」は、別の存在なのか 野田利朗
『隋書』の「倭国」と「俀国」の正体 日野智貴
倭と俀の史料批判 ―『隋書』の倭國と俀國の区別と解釈をめぐって― 谷本 茂
多元的「天皇」号の成立 ―『大安寺伽藍縁起』の仲天皇と袁智天皇― 古賀達也
法隆寺薬師仏光背銘の史料批判 ―頼衍宏氏の純漢文説を承けて― 日野智貴
伊吉連博徳書の捉え方について 満田正賢
『斉明紀』の「遣唐使」についてのいくつかの疑問について 阿部周一
俾彌呼の鏡 ―北九州を中心に分布する「尚方作鏡」が下賜された― 服部静尚
【フォーラム】
海幸山幸説話 ―倭国にあった二つの王家― 服部静尚
豊臣家の滅亡から九州王朝の滅亡を考える 岡下英男
【付録】
古田史学の会・会則
古田史学の会・全国世話人名簿
編集後記


第3304話 2024/06/15

岡下さんが米寿を迎えて、例会発表

 本日、 「古田史学の会」関西例会がドーンセンター(大阪市中央区)で開催されました。次回、七月例会の会場は都島区民センターです。関東からは冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人)が明日の全国世話人会・会員総会のため参加されました。はるばる千葉市からは会員の倉沢良典さんが初参加されました。お昼休みには役員会を開催し、全国世話人会と会員総会への提案内容について最終確認しました。

 今回は、関西例会で論議が続いている、4~5世紀頃の九州王朝(倭国)と朝鮮半島諸国との関係についての発表(満田さん、大原さん、正木さん)が重なり、それぞれの意見や根拠とするエビデンスの違いが明確になりました。もちろん合意に至ったわけではありませんが、エビデンス(根拠)とロジック(解釈・論理)や学問の方法を含めて参加者の認識が深まりました。合意できるエビデンスに基づき、議論がかみ合っていれば、いずれ諸仮説は古代の真実に向かって収斂することと期待しています。

 今回は久しぶりに岡下さんの参加と研究発表があり、王朝交代の実情やその年次について論議が交わされました。九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への「禅譲」年と九州年号の改元年(大化元年 695、大長元年 704)との関係についての問題意識が深まり、勉強になりました。聞けば、岡下さんは今年米寿を迎えたとのこと。年齢を感じさせない鋭い視点での研究でした。

 6月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔6月度関西例会の内容〕
①欠史八代帝(一) ―縄文語で解く記紀の神々― (大阪市・西井健一郎)
②持統が定策禁中を行って、九州王朝を滅ぼした (京都市・岡下英男)
③倭(ワ)王と太子の事績の地 (東大阪市・萩野秀公)
④倭国の王朝交代と任那の滅亡 (茨木市・満田正賢)
⑤4~5世紀の韓半島と倭の記事に関して (大山崎町・大原重雄)
⑥推古紀・孝徳紀の「任那記事」について (川西市・正木 裕)

◎役員会の報告(古賀)
・『古代に真実を求めて』在庫状況の説明
・会員へのメール配信事業開始の報告
・創立30周年記念事業・東京講演会について

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
7/20(土) 10:00~17:00 会場 都島区民センター
8/17(土) 10:00~17:00 会場 北区民センター


第3300話 2024/06/11

『古田史学会報』182号の紹介

 本日届いた『古田史学会報』182号を紹介します。同号には拙稿〝「天皇」銘金石文の史料批判 ―船王後墓誌の証言―〟を掲載して頂きました。

 九州王朝(倭国)と近畿天皇家(後の大和朝廷)との関係について、古田先生は、701年の王朝交替より前は、倭国の臣下筆頭の近畿天皇家が七世紀初頭頃からナンバーツーとしての「天皇」号を称していたとされていましたが、晩年には、七世紀の金石文などに見える「天皇」はすべて九州王朝の天子の別称であり、近畿天皇家が天皇を称するのは王朝交代後の文武(701年)からとする新説を発表されました。

 本稿において、わたしは古田旧説を支持しており、その根拠として船王後墓誌(国宝)に見える三名の天皇は、通説通り敏達天皇・推古天皇・舒明天皇でよいとし、古田新説は論証が成立していないとしました。

 一面に掲載された日野稿は、近畿天皇家皇族の呼称「皇弟・皇子・皇女」の実体や淵源について、『記紀』表記例を比較して論じたものです。更には天皇号の成立を天武からとする通説を批判し、船王後墓誌などを根拠に、敏達や用明は天皇を称していたとし、天智の不改常典に至り天皇号が世襲されるようになったとする仮説を発表しました。今後の論争や検証が待たれますが、とても興味深い論稿でした。

 なお、次号回しになった採用決定稿が複数ありますが、順次掲載していきます。

 『古田史学会報』に論文を投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮され、テーマを絞り込み簡潔でわかりやすい原稿にしてください。地域の情報紹介や面白い話題提供なども歓迎します。
長文の論文は『古代に真実を求めて』に投稿してください。次号28集の特集テーマは「風土記・地誌の九州王朝」です。
182号に掲載された論稿は次の通りです。

【『古田史学会報』182号の内容】
○皇弟・皇子・皇女の起源 たつの市 日野智貴
○さまよえる狗奴国と伊勢遺跡の謎 吹田市 茂山憲史
○緊急投稿「不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル」(下) 川西市 正木 裕
○小論・藤原宮の大溝SD1901A仮設運河説を考える 杉並区 新庄宗昭
○土佐国香長条里七世紀成立の可能性 高知市 別役政光
○「天皇」銘金石文の史料批判 ―船王後墓誌の証言―
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○会員総会・記念講演会のお知らせ
○「会員募集」ご協力のお願い
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第3294話 2024/05/31

「古田史学の会」メール配信事業

          のお知らせ

「古田史学の会」の会員の皆さん、なかでもお会いする機会が少ない遠方の会員さんとの交流の場を作れないものかと考えてきました。そこで、インターネットのメール機能を利用して、「古田史学の会」や古田史学に関する情報発信と広報事業を新たに立ち上げます。幸いにも会費送金時の振込用紙にメルアドを書いていただいている会員さんが少なからずおられますので、エリアを限定してメール広報事業立ち上げの案内をテスト配信させていただきました。徐々に配信エリアを拡大します。
今回、関東エリアと九州エリアの会員と会友の皆さんにテスト配信したところ、好意的なご返信が届いています。他方、アドレスが間違っているためか、配信不可のメッセージが帰ってくるケースもあります。そこで、「洛中洛外日記」や『古田史学会報』で同事業をご案内することにしました。メール配信を希望される会員の方は、古賀か本会インターネット事務局まで、メールにてご一報いただきますようお願いいたします。
メール機能を使って、双方向の情報交換も進めたいと願っています。連日、各地からメールが届いていますので、返信が遅れたり、内容によっては回答できないことがあるかもしれません。その場合は、ご容赦ください。「古田史学の会」のメール配信事業にご理解とご協力をお願い申し上げます。


第3287話 2024/05/19

真実に目をそむけた

  NHKスペシャル古代史ミステリー

 昨日、 「古田史学の会」関西例会が豊中自治会館で開催されました。次回、6月例会々場はその翌日(6/16)に開催される会員総会と同じドーンセンターです。

 正木さんは、NHKスペシャル古代史ミステリーで放送された「倭の五王」を大和朝廷とする番組の内容に対して、根拠をあげて批判しました。「邪馬台国」の卑弥呼をテーマにした同シリーズの前作も酷い内容でしたが、それを上回る非学問的な内容であることがよく理解できました。たとえば、大和朝廷により規格統一されたと紹介した鉄製甲冑の全てが九州出土のものであり、番組ではこの事実を説明していません。
この他に、朝鮮半島南西部の栄山江流域の前方後円墳についても詳述され、出土遺物についても北部九州出土品とよく似ていることがよくわかりました。ちなみに、栄山江流域に任那があったとする研究が赤尾恭司さん(多元的古代研究会・会員)より発表されており(注)、正木さんの研究との関係が注目されます。

 5月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔5月度関西例会の内容〕
①推古紀の編者は隋書を参考にしたか? (茨木市・満田正賢)
②なぜ、『隋書』は「裴世」と書いたのか ―推古紀の遣唐使の疑問― (姫路市・野田利郎)
③百済王の孫が持参した七支刀 (大山崎町・大原重雄)
④神武東征の嘘 (大阪市・西井健一郎)
⑤古代の「領地替え」の痕跡 (東大阪市・萩野秀公)
⑥百済西南部の古墳から考える「倭の五王」 不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル古代史ミステリー (川西市・正木 裕)

◎古賀から役員会の報告
(1) 7/28(日)「倭国から日本国へ」出版記念東京講演会〔文京区民センター〕
(2) 八王子セミナー要旨案の紹介
(3)『古代に真実を求めて』リモート読書会の設立について

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
6/15(土) 会場:ドーンセンター
□会員総会・記念講演会(27集出版記念)の日程と講師
日時 6月16日(日) 午後1時30分開会 会場:ドーンセンター 参加費:無料
《講師・演題》
谷本 茂氏(古田史学の会・会員、『古代に真実を求めて』編集部)
〔演題〕誤解され続けた『新唐書』日本伝 ―倭国と日本国の併合関係の「逆転」をめぐって―
正木 裕氏(古田史学の会・事務局長、『古代に真実を求めて』編集部)
〔演題〕百済領域の遺跡から見える倭国(九州王朝)の半島進出
※前日(6月15日)の関西例会もドーンセンターで開催します。

□「倭国から日本国へ」出版記念東京講演会
日時 7月28(日) 13:30 開会 16:30 終了
会場 文京区民センター
参加費 1000円
《講師・演題》
古賀達也(古田史学の会・代表)   多元的「天皇」号の成立 ―九州王朝の天子と諸国の天皇たち―
正木 裕(古田史学の会・事務局長) 「王朝交代」と二人の女王 ―武則天と持統―
主催 古田史学の会 協力 東京古田会 多元的古代研究会

(注)5月11日の「古田史学リモート勉強会」(古賀主宰)で赤尾氏は「栄山江流域=任那説」を発表した。3月9日には正木氏により「九州勢力の半島進出し撤退」が同勉強会で発表されており、当該テーマは関心が示されてきた。

_______________________________

古田史学の会 豊中自治会館 2024.5.18

2024年5月度関西例会発表一覧
(YouTube動画)

1,推古紀の編者は隋書を参考にしたか? (茨木市・満田正賢)
https://youtu.be/e_hAs0QoUJc

2,なぜ、『隋書』は「裴世」と書いたのか ―推古紀の遣唐使の疑問―
(姫路市・野田利郎)
   ①https://youtu.be/u_-hPQ5KAyg

3,百済王の孫が持参した七支刀 (大山崎町・大原重雄)
   ①https://youtu.be/Nc2K7h7rXRs

4,神武東征の嘘 (大阪市・西井健一郎)
   ①https://youtu.be/kBwBw552Paw

5,古代の「領地替え」の痕跡 (東大阪市・萩野秀公)

   ①https://youtu.be/Wu7bD9n-PsU

6,百済西南部の古墳から考える
— 「倭の五王」 不都合な真実に目をそむけたNHKスペシャル古代史ミステリー
(川西市・正木 裕)
   ①https://youtu.be/EmHKt8pnUes

関連YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=IxWsjqn1wS4
九州勢力の半島進出と撤退 — 百済西南部の古墳から考える 正木裕
市民古代史の会・京都2024年3月30日 INキャンパスプラザ京都


第3281話 2024/05/06

『多元』181号の紹介

 友好団体の多元的古代研究会機関紙『多元』181号が届きました。同号には拙稿〝九州王朝の両京制を論ず(三) ―「西都」太宰府倭京と「東都」難波京―〟を掲載していただきました。同稿では、前期難波宮九州王朝複都説の研究経緯と、七世紀の九州王朝(倭国)が採用した両京制について論じました。
一面に掲載された新庄宗昭さんの〝「遺跡・飛鳥浄御原宮跡」異聞〟は、飛鳥浄御原遺跡の外形(平面図)が直角ではなく、台形であることに注目した論稿です。この飛鳥宮第Ⅲ期の遺構を「遺構事実として内裏の施設だけが点在したことは、規模からして王宮ではあり、王族の私的居住空間であることは間違いはない。」とされ、律令宮殿である飛鳥浄御原宮ではないと結論されました。考古学報告書に基づいた論稿であり、やや難解な解説が続きますが、天武期の近畿天皇家の実体について、考古学の視点から論じたもので、是非は別としても貴重な研究と思われました。

 同テーマについては拙稿「飛鳥「京」と出土木簡の齟齬 ―戦後実証史学と九州王朝説―」(注)で論じましたが、飛鳥宮や藤原京についての考古学研究が古田学派でも盛んになることを願っています。

 同号には、「倭国から日本国」(『古代に真実を求めて』27集)の紹介記事も掲載していただきました。

(注)古賀達也「飛鳥「京」と出土木簡の齟齬 ―戦後実証史学と九州王朝説―」『倭国から日本国へ』(『古代に真実を求めて』27集)明石書店、2024年。


第3275話 2024/04/22

『九州倭国通信』214号の紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.214号が届きましたので、紹介します。同号には拙稿「筑前地誌で探る卑弥呼の墓」を掲載していただきました。古田先生は卑弥呼の墓の有力候補地として、弥生遺跡として著名な須玖岡本遺跡(福岡県春日市須玖岡本)の山上にある熊野神社社殿下とされました(注①)。拙論では、この古田説を補強すべく、『筑前国続風土記拾遺』(注②)に見える次の記事を紹介しました。

 「熊野権現社
岡本に在。枝郷岡本 野添 新村等の産神也。
○村の東岡本の近所にバンシヤクテンといふ所より、天明の比百姓幸作と云者畑を穿て銅矛壱本掘出せり。長二尺余、其形は早良郷小戸、また當郡住吉社の蔵にある物と同物なり。又其側皇后峰といふ山にて寛政のころ百姓和作といふもの矛を鋳る型の石を掘出せり。先年當郡井尻村の大塚といふ所より出たる物と同しきなり。矛ハ熊野村に蔵置しか近年盗人取りて失たり。此皇后峯ハ神后の御古跡のよし村老いひ傅ふれとも詳なることを知るものなし。いかなるをりにかかゝる物のこゝに埋りありしか。」『筑前国続風土記拾遺』上巻、三二〇~三二一頁。

 ここに記された皇后峯の山頂が現・熊野神社に当たり、卑弥呼のことが神功皇后伝承として伝えられているとしました。
同号冒頭には大宰府蔵司遺跡の写真が掲載されており、本年二月十七日に開催された発掘調査報告会(九州歴史資料館主催)について、工藤常泰さん(九州古代史の会・会長)より詳細な報告がなされており、勉強になりました。なかでも、蔵司地区から出土した大型建物(479.7㎡)が政庁正殿よりも巨大で、大宰府官衙群中最大です。その用途として、「大宰府財政を束ねた中枢施設」や「外国の使節をもてなした饗応施設」とする諸説が出されているとのことです。九州王朝説に立った場合、どのような仮説が成立するのか楽しみなテーマです。

(注)
①古田武彦「邪馬壹国の原点」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、一九八七年。
②広渡正利校訂・青柳種信著『筑前国続風土記拾遺 上巻』文献出版、平成五年(一九九三年)。


第3273話 2024/04/20

関西例会で九州王朝バス旅行の報告

 本日、 「古田史学の会」関西例会が豊中自治会館で開催されました。次回、5月例会の会場も豊中自治会館です。関東からは冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人)が先月に続いて参加されました。

 今回の発表でわたしが注目したのが、大原さんの『古事記』仲哀記押熊王の叛乱記事に見える海戦「赴喪船将攻空船」の新解釈でした。従来説では「喪船に向かってその空船を攻めた」と訓み、喪船と空船が同一のものか別物かで意見が分かれていました。大原説では、空船とは喪船を曳航する動力船であり、喪船はバージ船(通常の船では運搬しにくいものを運ぶための特殊な形状を持つ船)とされました。即ち二艘でワンセットとする理解です。こうした二艘の船がエジプトのピラミッドの側からも出土しているとのことで、面白い仮説でした。

 正木さんの九州王朝バス旅行(4/16~18)の報告も楽しいものでした。福岡市博物館・香椎宮・志賀海神社・宇美八幡宮・宗像大社・王塚古墳(桂川町)・鞍橋神社・宇佐神宮・苅田町歴史資料館など、北部九州を代表する九州王朝の神社を見学するというもので、装飾壁画古墳の復元展示なども見事なものでした。

 わたしからは、リクエストにより過日の高橋工さんの前期難波宮最新調査報告の紹介をさせていただきました。このテーマについては「洛中洛外日記」で詳述する予定です。

 4月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔4月度関西例会の内容〕
①天孫降臨とウガヤ命・後編 (大阪市・西井健一郎)
②裴世清の昇進問題 (茨木市・満田正賢)
③神功皇后の喪船と空船による策略の謎 (大山崎町・大原重雄)
④喪船の形状ときぬがさ型埴輪の関係 (大山崎町・大原重雄)
⑤『旧唐書』が語る日本(二本)の歴史 (東大阪市・萩野秀公)
⑥「九州王朝バスの旅3」報告 (川西市・正木 裕)
⑦最近のヤマト説と九州説の攻防 (川西市・正木 裕)

◎古賀から役員会の報告
・4月遺跡巡りでの高橋工氏の講演報告

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
05/18(土) 会場:豊中自治会館

□会員総会・記念講演会(27集出版記念)の日程と講師
6月16日(日)午後 会場:ドーンセンター 参加費:無料
《講演会講師・演題》
谷本 茂氏(古田史学の会・会員、『古代に真実を求めて』編集部)
〔演題〕誤解され続けた『新唐書』日本伝 ―倭国と日本国の併合関係の「逆転」をめぐって―
正木 裕氏(古田史学の会・事務局長、『古代に真実を求めて』編集部)
〔演題〕百済領域の遺跡から見える倭国(九州王朝)の半島進出
※前日(6月15日)の関西例会もドーンセンターで開催します。