古田史学の会一覧

第1266話 2016/09/04

狭山池博物館訪問と西川寿勝さん講演

 昨日は、中国洛陽から発見された三角縁神獣鏡を現地で実見調査された狭山池博物館の西川寿勝さんから詳しい調査の報告をしていただきました。
 「古田史学の会・関西」の遺跡巡りハイキングの一環として、狭山池博物館を訪問し、西川さんに同館をご案内いただいた後に、洛陽発見の三角縁神獣鏡についてご説明いただきました。ハイキングの一行だけではなく、遠く関東から冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人)や『鏡が映す真実の古代』を編集された平松健さん(東京古田会)も見えられ、総勢30名ほどでお聞きしました。
 西川さんは国内トップクラスの鏡の専門家で、その説明は説得力のあるものでした。同鏡が贋作ではなく、日本出土の三角縁神獣鏡と同じ技術で製造されていることなど、詳細に説明されました。現地での「裏話」も含めてとても有意義な講演でした。洛陽発見の三角縁神獣鏡の「立体拓本」も見せていただきました。同鏡の所蔵者から贈呈されたものだそうです。この写真はわたしのfacebookに掲載していますので、ご覧ください。
 西川さんには同博物館や狭山池の案内もしていただきました。特に土器編年についても詳しく教えていただき、勉強になりました。その後、なかもず駅近くの白木屋で歓談。翌朝は青森県三内丸山遺跡に行かなければならないというハードスケジュールにもかかわらず、遅くまでお付き合いいただきました。「古田史学の会」の講演会にも来ていただけるとのことで、また楽しみが一つ増えました。
 なお、今年は狭山池造営(616年)からちょうど1400年で、その幟が博物館や市内に立てられているとのこと。同館には文化財級の遺物の本物が多数展示されており、おすすめです。


第1264話 2016/08/31

8月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 8月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 8月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/08/04 姫路市を訪問
2016/08/06 誕生日翌日の「三者面談」
2016/08/07 好論満載『東京古田会ニュース』No.169
2016/08/10 多元的「信州」研究の進展
2016/08/16 古田先生の初盆に誓う
2016/08/19 『二中歴』の思い出
2016/08/22 陸上400mリレーの銀メダルに思う
2016/08/27 今日の読書『人工知能と21世紀の資本主義』『映画で読み解く現代アメリカ』(明石書店刊)
2016/08/30 古田先生からの宿題 ポアンカレの二著


第1259話 2016/08/20

『続日本紀』の中の多元史観
    (もう一つのONライン)

 本日の「古田史学の会」関西例会では、学問の方法論に関する茂山さんの発表など重要な報告が続きました。中でも、西村さんと正木さんからの『続日本紀』に見える「もう一つのONライン」とでもいうべき痕跡についての報告は興味深いものでした。古代官道の南海道が四国内の阿波国府から土佐国府のルートが変更されており、その変更が九州王朝から大和朝廷への王朝交代によるものという、西村さんの発見は画期的でした。
 南海道旧道は阿波国府・讃岐国府・伊予国府・土佐国府(333km)でした。新道は阿波国府・土佐国府(148km)へと短縮されたのですが(『続日本紀』養老2年5月条〔718年〕)、この変更は中心王朝から出発して土佐国府への最短ルートとしたもので、その中心王朝が九州から大和へ変更になったためとされたのです。素晴らしい発見です。なお、古代南海道のルートが変更されているという指摘は今井久さん(古田史学の会・会員、西条市)からなされており、今回の西村さんの発見の契機になったとのことです。

 わたしからは「評」系図の史料批判として系図を史料根拠に使用する難しさについて報告し、「異本阿蘇氏系図」などを根拠に評制の開始時期を7世紀初頭以前にまで引き上げることはできないとしました。また、以前から問題となっていた『二中歴』「年代歴」の虫喰部分を「不記年号」とする明治10年書写の国会図書館デジタルコレクションの『二中歴』小杉写本を紹介しました。
 この他にも、茂山さんからの最新の論理学による「実証」と「論証」の解説など、普段はなかなか聞くことができない貴重な報告がありました。
 8月例会の発表は次の通りでした。

〔8月度関西例会の内容〕
①土左への交通路(南海道)の変更(高松市・西村秀己)
②巨大古墳は大和朝廷の政治的統一を表すものなのか(八尾市・服部静尚)
③定策禁中(その3)(京都市・岡下英男)
④記紀の真実3 神武東征は無った(大阪市・西井健一郎)
⑤岩波日本書紀の注に一つの疑問(相模原市・冨川ケイ子)
⑥前期難波宮造営の年代について(川西市・正木裕)
⑦古田先生の肉筆草稿新発見報告(奈良市・水野孝夫)
⑧「学問の方法」を整理して今後の「古田史学」を考える 〜パースの論理学をめぐって〜
 ※添付資料:『議論パターン』について(吹田市・茂山憲史)
⑨『二中歴』の「不記年号」問題の新史料(京都市・古賀達也)
⑩「評」系図の史料批判(京都市・古賀達也)
⑪『続日本紀』もう一つのONライン(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 7/23『邪馬壹国の歴史学』出版記念東京講演会の報告・9/03 狭山池博物館 西川寿勝さん講演の案内・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の案内・その他


第1253話 2016/08/12

『古田史学会報』135号のご案内

 『古田史学会報』135号が発行されましたので、ご紹介します。本号は九州王朝研究の最新課題などの重要論文が掲載されています。

 正木さんからは、龍田神社の風の祭りは本来は九州王朝における阿蘇地方のものであったとする新説が発表されました。

 わたしからは九州王朝説にとって不利な三つの考古学的事実を「九州王朝説に刺さった三本の矢」として紹介、解説しました。また、熊本県の鞠智城創建年代を通説よりも早い6世紀末から7世紀初頭の多利思北孤の時代とする新説を報告しました。

 西村さんからは『別冊宝島 「邪馬台国」とは何か』に収録された渡邉義浩氏の『三国志』に関する論稿への批判論文が発表されました。

135号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』135号の内容
○盗まれた風の神の祭り 川西市 正木裕
○九州王朝説に刺さった三本の矢(前編) 京都市 古賀達也
○古田先生が坂本太郎氏に与えた影響について 福岡市 中村通敏
○『別冊宝島 古代史再検証「邪馬台国とは何か」』の検証 高松市 西村秀己
○古田史学の会 第22回会員総会の報告
○鞠智城創建年代の再検討-六世紀末〜七世紀初頭、多利思北孤造営説- 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅵ 倭国通史私案①
黎明の九州王朝 古田史学の会・事務局長 正木裕
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○「邪馬壹国の歴史学」出版記念講演会の報告 八尾市 服部静尚
○古田史学の会・関西例会のご案内
○大阪府立狭山池博物館見学と講演のお知らせ
○編集後記 西村秀己


第1250話 2016/08/11

NHK文化センター神戸で谷本さんが講演

  古代中国の算術書『周髀算経』に短里が使用されていたことを明らかにされた谷本茂さん(古田史学の会・会員)が、NHK文化センター神戸教室(078-360-6198)の夏の特別講座で、次の講演をされます。
 古事記の「国生み」「天孫降臨」「神武東征」神話などを、兵庫県の古代遺物の出土状況を踏まえて、新たな視点で見直されるとのことですので、ご案内します。

【テーマ】「兵庫県からみた古事記の世界〜銅剣・銅鐸文化と神話の謎をさぐる〜」
【日時】8月31日(水)10:30〜12:00
【会場】NHK文化センター神戸教室(JR神戸駅南口出てすぐ。高速神戸駅徒歩4分)


第1249話 2016/08/10

大阪府立狭山池博物館見学と講演のご案内済み

 大阪府立狭山池博物館見学と講演のご案内です。中国から出土した三角縁神獣鏡を実地調査された西川寿勝さんから、詳細な調査報告をしていただきます。とても貴重な内容ですので、わたしも楽しみにしています。

○日時 9月3日(土) 14時〜16時30分
  ①14時〜15時 博物館展示解説
 ②15時〜16時30分 講演
  演題 「洛陽発見の三角縁神獣鏡について」
  講師 西川寿勝氏(大阪府立狭山池博物館学芸員)
  (於:博物館会議室)

○場所 大阪府立狭山池博物館
    大阪狭山市池尻中2丁目(南海高野線大阪狭山市駅、西に徒歩5分)

※人数限定のため希望者は事前に正木事務局長まで申し込んでください。メール Babdc106@jttk.zaq.ne.jp
「古田史学の会・関西」ハイキング参加者はコースに入っているので申し込み不要です。


第1244話 2016/08/02

「誰も知らなかった古代史」セッションのご案内

 正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が主催されている「誰も知らなかった古代史」セッションをご案内します。身近でフレンドリーな催しですから、初心者にもわかりやく、とても楽しい企画です。ご参加をお勧めします。

○第8回 9月23日(金)18時30分〜20時
「本当の邪馬「台」国」
【カタリスト】正木裕さん(古田史学の会・事務局長)

(場所)森ノ宮キューズモール(大阪市 中央区森ノ宮中央二丁目一番。JR大阪環状線森ノ宮駅西徒歩5分)の2階「まちライブラリー」。定員30名(参加費ドリンク代500円)。
※参加申し込みはメール babdc106@jttk.zaq.ne.jp まで。

○第7回 8月26日(金)18時30分〜20時
「こわくてゆかいな漢字」
【カタリスト】張莉さん(大阪教育大学特任准教授)

(場所)森ノ宮キューズモール(大阪市 中央区森ノ宮中央二丁目一番。JR大阪環状線森ノ宮駅西徒歩5分)の2階「まちライブラリー」。定員30名(参加費ドリンク代500円)。
※参加申し込みはメール babdc106@jttk.zaq.ne.jp まで。


第1241話 2016/07/31

7月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 7月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 7月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/07/02 桂米團治師匠からの電話
2016/07/08 日本酒の源流、縄文人はお酒を飲んだ
2016/07/17 村岡典嗣先生の論集を読む
2016/07/20 信濃(科野)と諏訪
2016/07/20 京都駅新幹線エリアの書店が縮小
2016/07/22 多元的「国分寺」研究サークルin鶯谷
2016/07/26 愛知サマーセミナー2016の感想文


第1238話 2016/07/28

拝読中『九州倭国通信』

  (No.182 2016.7.20)

 福岡市を中心に活動されている「九州古代史の会」(-「倭国」を徹底して研究する-九州古代史の会、代表:木村寧海氏)とわたしたち「古田史学の会」は双方の機関紙を交流することとなりました。昨日、同会のニュース『九州倭国通信』(No.182 2016.7.20)が送られてきました。「古田史学の会」からは8月発行予定の『古田史学会報』を同会に送付させていただく予定です。いただいた『九州倭国通信』は「古田史学の会」関西例会にて参加者に配布いたします。
 現在、『九州倭国通信』を拝読中ですが、特に注目した記事に、木村寧海さんによる同会の6月例会報告「榊原氏講演より」と中小路竣逸先生(故人)の学問の方法に関する論稿「古代史のカンどころノート」がありました。
 同例会報告では、伊都国歴史博物館元館長の榊原英夫氏が講演「海を渡った倭国王」で述べられた『後漢書』に見える倭国王帥升は使節団を率いて自ら訪中したとする説を紹介されました。興味深い説であり、この件について古田先生がどのように理解されていたのか調べてみたいと思います。
 中小路先生の「古代史のカンどころノート」を読んで、わたしが30代の頃に教えていただいたことを思い出し、とても懐かしく思いました。当時、論証とは何か、論証するとはどういうことか、という問題に悩んでいたわたしに、「ああも言えれば、こうも言える、というのは論証ではない」という中小路先生の言葉がきっかけとなり、ようやく論証や学問研究の方法が見え始めました。中小路先生の論稿は連載されるようですので、これからも楽しみです。
 この度の機関紙交流が契機となり、両会の学問研究分野への交流も進められればと期待しています。


第1234話 2016/07/17

大盛況!東海学園高校でのサマーセミナー

 本日開催された東海学園高校での「愛知サマーセミナー2016」は教室が満席となるほどの参加があり、大盛況でした。「教科書に書けない古代史」と銘打って、わたしからは「邪馬台国」の真実、石田敬一さんからは「教科書に書けない九州年号」、林伸禧さんからは「推古紀の真実」の講義がなされました。
 参加者の半数は高校生で、みんな熱心に聴いておられました。高校の元歴史の先生も参加されておられ、初めて聴く古田史学に共鳴していただけました。お住まいは伊丹市とのことなので、「古田史学の会」関西例会をご紹介しました。
 高校生の感想文もなかなか立派な内容でした。コピーをいただいたら、「洛中洛外日記【号外】」にてご紹介したいと思います。この子たちの中から、将来の古田史学を継承する研究者が出ることを願っています。終了後は近くの中華料理店で反省会を兼ねて打ち上げ行いました。来年も、「古田史学の会」の行事として参画したいと思います。


第1233話 2016/07/16

投馬国五万戸の領域

 いつもの大阪府立大学なんばキャンパスが使用できなかったので、大阪歴史博物館の会議室で開催した本日の「古田史学の会」関西例会では、古田史学の方法論に関する大下さんの発表など刺激的な報告が続きました。評制施行時期に関する谷本さんの発表では、わたしと谷本さんとで論争となり、懇親会で服部静尚さん(古田史学の会・編集長)から感情的になりすぎるとお叱りをうけました。論争になるとついつい声が大きくなるという欠点は、還暦を過ぎてもなかなかなおりません。ごめんなさい。
 出野さんの発表で、倭人伝の投馬国を薩摩とする古田説に対して、筑前・筑後・肥前に広がる邪馬壹国の七万戸と比較して、薩摩で五万戸は無理とする出野さんからの指摘に、なるほどと思いました。懇親会でもこのことが話題となり、出野さんや大下さんと検討した結果、投馬国は薩摩だけではなく肥後も含まれていたのではないかという意見にまとまりました。最近、わたしが研究を進めている肥後の古代の見直しを、倭人伝の時代にまで遡って研究する必要を感じました。懇親会も有意義な関西例会に是非ご参加ください。
 7月例会の発表は次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
①暁鐘成(あかつきかねなる)の証言-大仁村にあった石棺(八尾市・服部静尚)
②難波宮の羅城 -暁鐘成の証言2(八尾市・服部静尚)
③「古田史学」の基本は実証主義 “学問は実証よりも論証を重んじる”について(豊中市・大下隆司)
④『住吉大社神代記』にあった「国宰」(奈良市・原幸子)
⑤古田先生は孔穎達をどう訓んでいたか(奈良市・水野孝夫)
⑥帯方郡から狗邪韓国の行程は水行か陸行か(奈良市・出野正)
⑦トリ氏出で埋められた神代巻-天照大神とその後の時代-(大阪市・西井健一郎)
⑧「評」史料の再検討(神戸市・谷本茂)
⑨実在した「イワレヒコ(神武)」-神話・伝承はある事実の反映だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 7/23 「古田史学の会」東京講演会シンポジウム(正木さん・服部さん・古賀)の案内・9/03 狭山池博物館 西川寿勝さん講演の案内・「九州古代史の会」との交流開始・7/02 四国の会講演会(正木さん)の報告・8/31 NHK文化センター特別講座(谷本茂さん)の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の案内・その他


第1226話 2016/07/09

九州王朝説に突き刺さった三本の矢(6)

 わたしは「前期難波宮は九州王朝の副都」という論文を2008年に発表しました(『古田史学会報』85号、「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載)。九州王朝説に突き刺さった《三の矢》から九州王朝説を守るにはこの仮説しかないと、考え抜いた末の結論でした。

 しかし、古田先生からは賛同していただけない月日が永く続き、前期難波宮から九州の土器は出土しているのか、神籠石のような防御施設がない、副都の定義が不明確と次々とダメ出しをいただきました。また、各地で開催される講演会で、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」に対する見解を問う質問が参加者から出されるたびに、古田先生からは否定的見解が表明されるという状況でした。

 そうした中でわたしにできることはただ一つ、論文を書き続けることだけでした。もちろん古田先生に読んでいただくこと、そして納得していただきたいと願って研究と発表を続けました。次の論文がそうです。想定した第一読者は全て古田先生です。

《前期難波宮関連論文》※「古田史学の会」ホームページ「新・古代学の扉」に掲載
前期難波宮は九州王朝の副都(『古田史学会報』八五号、二〇〇八年四月)
「白鳳以来、朱雀以前」の新理解(『古田史学会報』八六号、二〇〇八年六月)
「白雉改元儀式」盗用の理由(『古田史学会報』九〇号、二〇〇九年二月)
前期難波宮の考古学(1)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇二号、二〇一一年二月)
前期難波宮の考古学(2)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇三号、二〇一一年四月)
前期難波宮の考古学(3)ーここに九州王朝の副都ありきー(『古田史学会報』一〇八号、二〇一二年二月)
前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一三号、二〇一二年十二月)
続・前期難波宮の学習(『古田史学会報』一一四号、二〇一三年二月)
七世紀の須恵器編年 ー前期難波宮・藤原宮・大宰府政庁ー(『古田史学会報』一一五号、二〇一三年四月)
白雉改元の宮殿ー「賀正礼」の史料批判ー(『古田史学会報』一一六号、二〇一三年六月)
○難波と近江の出土土器の考察(『古田史学会報』一一八号、二〇一三年十月)
○前期難波宮の論理(『古田史学会報』一二二号、二〇一四年六月)
○条坊都市「難波京」の論理(『古田史学会報』一二三号、二〇一四年八月)

 論文発表と平行して「古田史学の会」関西例会でも研究報告を続けました。そうしたところ、参加者から徐々に賛成する意見が出され始めました。西村秀己さん、不二井伸平さん、そして正木裕さんは『日本書紀』の史料批判に基づいてわたしを支持する研究発表をされるようになり、近年では服部静尚さんも新たな視点(難波宮防衛の関)から前期難波宮副都説支持の研究を開始されました。

 そして2014年11月8日の八王子セミナーの日を迎えました。古田先生との質疑応答の時間に参加者からいつものように「前期難波宮副都説をどう思うか」との質問が出されました。わたしは先生を凝視し、どのような批判をされるのかと身構えました。ところが、古田先生の返答は「今後、検討しなければならない問題」というものでした。6年間、論文を書き続け、ついに古田先生から「否定」ではなく、検討しなければならないの一言を得るに至ったのです。検討対象としての「仮説」と認めていただいた瞬間でした。その日の夜は、うれしくて眠れませんでした。しかしその一年後、検討結果をお聞きすることなく、先生は他界されました。(つづく)