第146話 2007/09/24

『古田史学会報』82号のご案内

 9月下旬だというのに、きびしい残暑が続いています。昨夕から京都では雨が断続的に降りだし、変な気候です。
 『古田史学会報』82号の編集が完了しました。10月10日が発行予定日です。今号は古川さんによる「天子宮」調査続報が冒頭を飾っています。九州一円の天子宮調査は、学問の方法論的にも快挙ではないでしょうか。
 正木さんも快調に好論をものにされ、特に「白雉年間の難波副都建設と評制の創設について」は注目すべき論稿です。ご期待下さい。

〔『古田史学会報』82号の目次〕
○ホームページ「有明海・諫早湾干拓リポート号外」より転載
  伊倉2 ─天子宮は誰を祀るか─  武雄市 古川清久
○薩夜麻の「冤罪」II 川西市 正木 裕
○「オオスミ」の国  奈良市 水野孝夫
○「カヤ」と「アヤ」
  アイヌ語(縄文語)地名としての考察 仙台市 菊地栄吾
○白雉年間の難波副都建設と評制の創設について 川西市 正木 裕
○ホームページ「古賀事務局長の洛中洛外日記」より転載
  第140話 2007/08/26「天下立評」京都市 古賀達也
○連載小説「彩神」第十二話
  シャクナゲの里 (4) 深津栄美
  ***古田武彦『古代は輝いていた』より***
○—誰がいつ、伊勢神宮を創ったかII—
  二、倭姫巡幸III、「美和御諸宮から宇太阿貴宮へ」 大阪市 西井健一郎
○古田史学の会 関西例会のご案内
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○お知らせ 10/21 古田武彦氏豊中講演会
○お知らせ 1/19 古田武彦氏新年講演会


第145話 2007/09/24

銅鐸博物館を訪ねて

 144話の続きです。朽木村から高島市の藤樹神社に向かう途中、「古賀」という地名があり、ドキッとしました。福岡県では「古賀」地名や「古賀」姓はありふれていますが、滋賀県にもあるとは驚きでした。九州と何か関係があるのでしょうか。ご存じの方はお教え下さい。
  藤樹神社を後にして、ヴィッツは一路琵琶湖大橋へ向かいました。大橋を渡って、栗東に着いたのですが、日没まで時間があったので、野洲市立銅鐸博物館を目指しました。近江冨士で有名な三上山を見ながら国道8号線を北上したのですが、近づけば近づくほど三上山が西日に照らされ、美しく輝いていたのにはちょっと感動しました。おそらく、古代の人々もこの山を神の山として崇めていたことを疑えません。
 銅鐸博物館はこの三上山の北方向に位置します。その日は来観客も少なく、閑散としていました。展示物が素晴らしいだけに、訪れる人が少なそうなのは残念です。ここには明治14年に近くの大岩山から発見された多数の銅鐸を初め、日本最大の銅鐸も展示されており、古代史ファンは是非とも訪れるべき場所の一つです。わたしも20年以上前に一度来ており、今回で2度目です。ちなみに、入館料200円(大人)、駐車料金無料で良心的。
 こうして、わたしの滋賀県ドライブは終わりましたが、次は彦根城と湖北方面を計画中。とりわけ、甲良町の甲良神社は筑後の高良大社や天武天皇との関係が深く、今から興味津々です。


第144話 2007/09/23

藤樹神社を訪ねて

 昨日はヴィッツを借りて滋賀県へドライブしてきました。三連休の初日ということもあって、ラクティスやプリウスなどの希望車種は予約が満杯で借りることができませんでした。

 今回のドライブの前半では、洛北八瀬大原から途中トンネルを抜け、朽木村を通り、高島市の藤樹神社を訪ねました。言わずと知れた、近江聖人中江藤樹 (1608〜1648)を祀った神社です。神殿を参拝した後、境内にある藤樹記念館を見学。改めて偉大な人物に触れることができ、感動しました。藤樹関連書籍が販売されていましたので、『中江藤樹のことば−素読用』中江彰編を買い、読んでいます。その後、近くにある藤樹の墓所にも寄って、手を合わせまし た。
   『中江藤樹のことば−素読用』の中から、特に印象に残った言葉をご紹介しましょう。
 
    千里をかよう誠(まこと)
  思ひ出は学びし本(もと)の心より千里を通う誠忘るな。(和歌「森村叔の行を送る」)
 
 遠くから藤樹に学びに来た門人へ宛てた和歌で、学んだ中味よりも、遠い近江の僻遠の地にやってきた、そのまことの心を決して忘れてはならない、という内 容です。古田史学の会関西例会へ、相模原市から新幹線で毎月参加される冨川ケイ子さんのような熱心な門人がいたのですね。
 
    同志の交わり
  同志の交際は、恭敬を以て主と為すべし。和睦を以てこれを行ひ、一毫も自ら便利を択(えら)ぶべからず。もとって勝たんことを求むるなかれ。(「学舎坐右戒」)
 
 同志は、たがいにうやうやしい態度で接すること。なかむつまじく、いささかも自分の都合勝手なことをしてはならない。心ねじけて人に勝つなかれ、という 内容は深く考えさせられます。古田史学の会の会員は同志のようなものですから、この藤樹の言葉を私も噛みしめたいと思いました。


第143話 2007/09/16

彦根城築城400年祭

 昨日の関西例会の会場の大阪駅前第2ビル地下二階フロアーで、国宝・彦根城築城400年祭の展示コーナーがありました。パンフレットなどもらいましたが、ちょうど車の練習を兼ねて滋賀県へ行こうと思っていましたので、この機会に湖東方面もドライブしようと、計画を練っています。とりあえず、最初は湖西方面から挑戦予定です。湖西も湖東も滋賀県は古代史の宝庫です。
   9月例会の発表は次の通りでした。最後の正木さんの発表は前回に続いて時間に追われ、大変でした。これ以上、発表者が増えると例会運営も難しくなります。うれしい悲鳴ですが。いずれは時間制限が必要になるかもしれません。その時はご協力の程、お願いします。
 
  〔古田史学の会・9月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 中国の歴史「西周・春秋」を話す前に(豊中市・木村賢司)
  2). 湍津姫と八十の地(大阪市・西井健一郎)
  3). 高良大社系古文書と九州王朝系図(奈良市・飯田満麿)
  4). 史料事実としての磐井(名古屋市・林俊彦)
  5). 古代エクアドル文化と他地域とのつながりについて(豊中市・大下隆司)
  6). 東日流王朝in「真澄全集」(藤房の巻)(奈良市・太田齊二郎)
  7). 沖ノ島2(生駒市・伊東義彰)
  8). 『古事記』のなかの「大(太)后」たち(相模原市・冨川ケイ子)
  9). 白雉年間の難波遷都と評制の創設について(川西市・正木裕)
 
  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・三重県津市は三大港のひとつか・他(奈良市・水野孝夫)


第142話 2007/09/09

中村中を聴く
 わたしが30年来の中島みゆきファンであることは、ことあるごとに言ってきましたが、この何ヶ月か毎日のように聴いているのが、中村中(なかむら・あた
る)です。まだ二十歳そこそこの若いシンガーソングライターですが、初めてのアルバム「天までとどけ」は素晴らしいアルバムです。中でも「友達の詩」「風
になる」は後世に残る名曲だと思います。中島みゆきがデビューした時と同じくらいの才能を感じさせてくれるミュージシャンです。

   ところで、この「中村」という苗字は福岡県、とりわけ筑前に大変多い苗字です。わたしの学生時代のクラス(久留米高専工業化学科11期)には中村君が3人もいました。福岡県には那珂川や那賀川町もありますし、お隣の佐賀県には中原村(なかばる)がありました。
 わたしのカンですが、この「なか」という地名や苗字は、『万葉集』に見える九州王朝の人物である中皇命(なかつすめらみこと)と関係するのではないで
しょうか。もしかすると、中村さんや那珂川・中原の「なか」と中皇命の「なか」は淵源を同じくするものと思われてなりません。論証は困難ですが、大きくは
外れていない様な気がします。いかがでしょうか。


第141話 2007/09/01

万葉文化館訪問
 今日はヴィッツを借りて、奈良県明日香村までドライブしました。自宅から徒歩2分の所にあるトヨタレンタカーは大変重宝しています。

 飛鳥資料館や石舞台古墳などあちこち廻ってきましたが、中でも万葉文化館はとても気に入りました。冨本銭が出土した飛鳥池工房遺跡の上に立てられた同館
はとても美しい建物で、古代関係の展示の他、日本画(今野忠一日本画展など)も素晴らしいものでした。奈良県もなかなか良い仕事をしたものだと感心しまし
た。入館料600円+駐車料500円も、見終わった後は高いとは思いませんでした。
   また、地下の劇場では「柿本人麻呂」をテーマに人形と映像による万葉劇場が上演されており、これも定説による解説とは言え、人麻呂と『万葉集』がますます好きになりました。新たな研究の芽生えとなるような体験でした。
   喫茶店も落ち着いた雰囲気で景色も抜群。また行ってみたいと思いました。古田先生も人麻呂の歌に関しての新発見が続いておられるようで、このことも紹介したいのですが、古田先生が公式に発表されるまで口止めされています。あしからず。
   お天気にも恵まれ、とても素敵な一日でした。次は、琵琶湖に行ってみようと思っています。「岩走る淡海」の国です。


第140話 2007/08/26

「天下立評」

 8月の関西例会で、わたしは「平安時代の「評制」文書─『皇太神宮儀式帳』『神宮雑例集』の史料批判─」というテーマを発表しました。延暦23年 (804)に成立した、伊勢神宮の文書『皇太神宮儀式帳』に「難波朝廷天下立評給時」という記事があり、しかも同文書は太政官に提出された解文、いわば公文書であることを紹介しました。すなわち、平安時代の近畿天皇家内部の公文書に九州王朝の制度であった「評」が記されていることを指摘しました。

 たとえば『日本書紀』はおろか、延暦16年(797)に成立した『続日本紀』でも、700年以前の「評」を「郡」に改竄されているのですが、ほぼ同時期に解文として提出された『皇太神宮儀式帳』には「天下立評」や「評督」という記述が使用されており、近畿天皇家のとった九州王朝隠滅方針にも、内部では温度差のあったことがうかがえます。
  さらに、「難波朝廷天下立評給時」という記事は、九州王朝が評制を施行した時期を難波朝廷(孝徳天皇)の頃、すなわち650年頃であるとするもので、評制開始時期を記した現存する唯一の史料でもあり、貴重です。この頃、太宰府政庁よりもはるかに大規模な朝堂院様式を持つ前期難波宮が完成しており、このこと と「天下立評」とは何かしら関係しているのではないかと想像しています。この件、今後も研究していきたいと思っています。


第139話2007/08/19

須知・和知・福知山

 17日は酷暑の中、プリウスをレンタルして天橋立まで往復してきました。250kmを走り、使用したガソリンはわずかに8リットル。プリウスの燃費の良さには驚きです。京都縦貫道を利用して、丹波路を走ったのですが、この地方の地名には「須知」「和知」「福知山」と「チ」のついたものが目立ってあり、以前から気にかかっていました。古代に於いて、丹波地方は「チ」の神様が君臨していた名残ではないでしょうか。「愛知」や「高知」も同様だと思います。神社の祭神などを調べれば何か面白いことがわかるかも知れませんね。(第40話古層の神名「ち」、などをご参照下さい)
   昨日の18日には関西例会がありました。私も久しぶりに発表することができました。内容は次の通りでした。今回も発表者が多く、時間不足でした。

  〔古田史学の会・8月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 中国の歴史「夏・殷王朝」について、を話す前に(豊中市・木村賢司)
  2). 『日本書紀』の中の「伊勢王」(奈良市・飯田満麿)
  3). 『上宮聖徳法王帝説』中のもう一つの九州年号(岐阜市・竹内強)
  4). 『三国志』魏書東夷伝から「短里」を考える(神戸市・田次伸也)
  5). 東日流王朝in「真澄全集」(高星丸の巻)(奈良市・太田齊二郎)
  6). 平安時代の「評制」文書
     ─『皇太神宮儀式帳』『神宮雑例集』の史料批判─(京都市・古賀達也)
  7). 福井県と石川県の遺跡めぐり(木津町・竹村順弘)
  8). 沖ノ島─九州古墳文化の展開─(生駒市・伊東義彰)
  9). 三人の太后─「間人大后」「倭太后」と百済の「大后」─(相模原市・冨川ケイ子)
  10). 薩夜麻の「冤罪」(川西市・正木裕)

  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・和田家文書研究・他(奈良市・水野孝夫)


第138話 2007/08/16

大文字の送り火
 今日は京都五山の送り火の日です。拙宅の近所からは大文字を間近に見ることができます。それは有り難いのですが、夜遅くまで家の前のバス停が見物客でごった返すので、うるさくて仕方ありません。

 
五山の送り火や鞍馬の火祭り、久留米大善寺の鬼夜など、全国各地に火祭りがありますが、人類の祭の中で、火祭りはかなり原初的な祭ではないでしょうか。と
いうのも、人類が他の動物に対して優位に立てた理由の一つが、「火の使用」だったからです。ですから、火に対する畏敬の念は、大自然に対するものと同じく
らい強く深かったこと、疑えません。
    同じく、弓矢の発明も人類にとって、他の動物との力関係を逆転させた、一大事件だったと思われます。ですから、騎射神事も各地に見られること、当然だと言えるでしょう。
 こうした火祭りや騎射神事を研究することにより、人類の発展史を知ることが出来るのではないでしょうか。幸い、日本ではこうしたお祭りが各地に残ってお
り、御祭神も含めて、研究へのアプローチは抱負です。大文字の送り火も、その風情とは別に、このような観点から眺めてみたいものです。


第137話 2007/08/13

薩夜麻「冤罪」説
 お盆休みは、ご近所のトヨタレンタカー河原町店からプリウスを借りて、丹後半島にでも行くつもりでしたが、あいにく連
休中は車の予約がいっぱいで、まだ行けないでいます。なにせ、教習所の車以外では、社用車のプリウスと、レンタカーのヴィッツしか運転したことがなく、他
の車種は慣れていないのでまだ借りる気がしません。

 さて、「古田史学の会」では近年優れた研究者を輩出していますが、「天子宮」研究の古川さんと共に、『古田史学会報』81号には正木裕さん(川西市在住)の「薩夜麻冤罪説」という優れた論稿が掲載されています。
 
『日本書紀』では、部下を奴隷に売って、自らは帰国した不名誉な役割を与えられている筑紫君薩野馬ですが、古田説では九州王朝最後の天子とされています。
この不名誉な記事が、『日本書紀』編者による「冤罪」であることを論証されたのが、この正木稿なのです。81号には前編が掲載されており、後編がますます
楽しみです。
 このように「古田史学の会」には九州の古川さん、関西の正木さん、そして関東には数々の好論を発表されてきた冨川さん(相模原市在住)がおられ、論客が
群雄割拠の状況です。このところ研究が滞っている私を尻目に、こうした会員による優れた研究が陸続と続く古田史学・多元史観の底力は恐るべし、です。まさ
に、歴史学のパラダイムシフトが今おこっているのです。


第136話 2007/08/12

天子宮
 
九州には熊本県などに多数の「天子宮」が分布しています。以前からこの事実が気になっていましたが、端的に言えば九州王朝説でなければ説明できない「事
実」ではないでしょうか。この天子宮問題に九州王朝説の立場から果敢に挑戦されているのが、古川清久さん(本会会員、武雄市在住)です。その研究成果が
『古田史学会報』81号より連載開始となりました。

 
私としては『隋書』に記された倭国の天子、多利思北孤と関係するのではないかと想像していますが、それは『隋書』に阿蘇山が紹介されていることと、天子宮
が熊本県に濃密に分布していることによります。古川さんの天子宮の基礎研究とも言える連載、「伊倉─天子宮は誰を祀るか─」ではどのような結論になるのか
楽しみです。まずは天子宮の精密な分布状況と祭神、伝承の調査が望まれるところです。
    「天子宮」は、「古田史学の会」九州の論客、古川さんならではの未踏の研究テーマと言えるでしょう


第135話 2007/08/05

『古田史学会報』81号のご案内

  台風が去り、京都は蒸し暑い日が続いています。祇園祭も終わり、次は五山の送り火ですが、わたしは若い頃、如意ヶ岳の大文字に点火した経験があります。午前中から山に登り、用意された松の割り木を井桁に組んで、夜になるまで山で待つのですが、暑い最中ですから、これも結構体力勝負でした。今はとてもそんな気力はありませんので、近所の鴨大橋から眺めるだけとなっています。

 昨今、またまた太宰府から木柱跡や漆紙文書が出土していますが、これらも興味深いところです。さて、『古田史学会報』81号の編集が遅れに遅れて、今日ようやく完成しました。今号は久しぶりに古田先生から原稿をいただきました。ご期待下さい。
 
〔『古田史学会報』81号の目次〕
寛政原本と古田史学 古田武彦
○「安倍次郎貞任遺文」と福沢諭吉『学問のすすめ』
   ─『東日流外三郡誌』真贋論争に関連し─奈良市太田齊二郎
○エクアドルの地名 
菊池栄吾氏「バルディビア旅行で考えたこと」(会報八〇号)を読んで
    豊中市 大下隆司
○ホームページ「有明海・諫早湾干拓リポート号外」より転載
    伊倉─天子宮は誰を祀るか─武雄市 古川清久
○薩夜麻の「冤罪」 I 川西市 正木 裕
○古田史学の会 第十三回会員総会の報告
○古田史学の会 関西例会のご案内
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○お知らせ 10/21古田武彦氏豊中講演会
○「和田家資料4『北斗抄』十〜総結」の紹介