みのおFM みちばたサミット
第一回 卑弥呼はどこで死んだか
タッキー816 みのおエフエム提供
古田武彦 Podcasting講演
若者のための古代史
2001年11月22日
podcast音声 himika01.mp3
20MB,22kHz,42分です。
みのおFM みちばたサミット
タッキー816 みのおエフエム提供
古田武彦 Podcasting講演
若者のための古代史
2001年11月22日
20MB,22kHz,42分です。
『万葉集』などの歌枕には意味不明のものが少なくありません。「石走る淡海」もその一つです。淡海などの歌枕とされる「いわはしる」と言われても、琵琶湖を岩が走るのを見たことも聞いたこともありません。ところが、最近ちょっと面白いアイデアがひらめきましたので、ご披露したいと思います。
淡海は本来は琵琶湖ではないという問題については、既にこのコーナーでも紹介しましたが(第17話)、現在の所、熊本県の球磨川河口とする西村・水野説が有力です。この説に従えば、もう一つ注目すべきことがあります。それは球磨川河口の北部に位置する宇土半島から阿蘇ピンク石が産出するという事実です。このことも、以前に触れたことがありますね(第25話)。本年この阿蘇ピンク石の巨岩を復原された古代船で近畿まで運ぶプロジェクトがありましたが、これこそ「淡海」を「石走る」にピッタリではないでしょうか。
古代において、遠く近畿まで阿蘇ピンク石を船で運ぶ姿を見た歌人達が「石走る淡海」と詠んだ、そのように思うのです。それは、勇壮かつかなり異様な印象深い光景に違いありません。もしかすると柿本人麿も、球磨川河口の海を阿蘇ピンク石を積んだ船が滑るように走る情景を見たのかも知れません(『万葉集』29番歌に「石走る淡海」が見える)。
いかがでしょうか、このアイデア。かなりいけそうな気がするのですか。もし当たっていれば、「石走る」という枕詞も九州産ということになり、最初に九州王朝下で作歌されたことになります。
『ダヴィンチ・コード』。既に読まれた方も多いかと思いますが、近年世界的ベストセラーになった推理サスペンス小説です。わたしの勤務先には「社長室図書」というコーナーがあり、社長が読んだ本で社員にお奨めのものが自由貸出になっているのですが、そこに『ダヴィンチ・コード』があったので、最近読んでみました。うわさに違わず面白い。一気に読み終えたのです。通底するテーマとして古代キリスト教史が流れている本で、古田先生が研究されている「トマスの福音書」なんかも、ちらっと登場します。そして、読んでいるうちにキリスト教史の勉強にもなるという本でした。
マグダラのマリアも扱われているので、さっそく木村賢司さんや西村秀己さんらにも紹介したのですが、西村さんからはメールで感想が寄せられ、面白いが真犯人がすぐにわかって、推理小説としてはいまいちという辛口のコメント。木村さんは水野代表にもこの本のことを教えられたようで、水野さんから電話で、古田先生にはもう紹介したのかとの質問。まだですというと、水野さんから紹介することになりました。その後、水野さんからメールが届き、古田先生は既に読んで持っているとのこと。先生の読書量とその幅の広さにはおどろきました。
人間の好奇心は棺桶に入るまで留まるところを知らない、とは古田先生の言葉。先生ご自身にぴったりの言葉だなあと、あらためて思った今日でした。そして、今日から京都は本格的な寒さを迎えました。インフルエンザの予防接種も昨日済ませましたので、年末まで古代史の研究と仕事に頑張るぞ、と寒さに震えています
バチカン・ピエタ像の謎 木村賢司(古田史学会報61号)
マリアの史料批判 西村秀己(古田史学会報62号)
「そ」の神様を捜していたら、また冨川ケイ子さん(本会会員、相模原市)からメイルで『延喜式』の式内社に新具蘇姫命(にいぐそひめのみこと)神社があることをお知らせいただきました。所在地は石見の国、島根県大田市川合町ですが、同町には石見国一ノ宮の物部神社もあり、古代より当地の中心地だったことがうかがわれます。
現代の感覚でいえば、お姫様の名前に「にいぐそ」はないと思いますが、逆にそれだけ古い神名である証拠ではないでしょうか。おそらく、「にいぐそ」とは新しい糞という意味ではなく、新しい「ぐ」の「そ」の神様のように思われます。「ぐ」の意味はわかりませんが、「かぐつち」や「香具山」と共通する「ぐ」という何らかの概念があったのでしょう。
新具蘇姫命はこの神社にしか祀られていないとのことで、たぶん在地の主神だったと思います。もしかすると石見国を代表する古い神様だった可能性も否定できないと思います。しかも女性の神様ですから、縄文時代にまで遡れるかもしれませんね。そうでなければ、一ノ宮の物部神社の近くで、こんな名前の「そ」の神様が祀られ続けてきた理由がわかりません。わたしのカンでは物部神社よりも古い神様だと思います。さらにいえば、物部神社とも何らかの関係があったのではないかと想像していますが、この点については12月の関西例会で発表することにします。
「そ」の神様、探せばもっと見つかりそうです
『古田史学会報』71号の編集が本日完了しました。12月中旬までには会員のお手元へ届けることができます。本号の内容は次のとおりで、ご寄稿いただいた皆様に御礼申し上げます。古田先生には前号に続いて「弔文」を書いていただきました。心中、誠に複雑です。古田先生にはくれぐれもお身体に留意していただき、ご長寿をお祈りするばかりです。
『古田史学会報』71号の主な内容
宣言−新東方史学会、設立のために−(古田武彦)
新東方史学会会長に中嶋嶺雄氏
新東方史学会の概要
遺稿・「和田家文書」に依る『天皇紀』『国紀』及び日本の古代史についての考察1(藤崎町・藤本光幸)
筑後国風土記の中の「山」(向日市・西村秀己)
壬申の乱に就いての考察(奈良市・飯田満麿)
私考・彦島物語 筑紫日向の探索(大阪市・西井健一郎)
平成十七年度にあたって(東かがわ市歴史民俗資料館友の会会長・池田泰造)
なにわ男の「旅の恥はかき捨て」(豊中市・木村賢司)
古層の神名(京都市・古賀達也)
『和田家資料3』─藤本光幸さんを弔う─(古田武彦)
浦島太郎の御子孫が講演(古賀達也)
関西例会のご案内・新年講演会のご案内・史跡めぐりハイキング・他
京都も日一日と寒さを増しています。拙宅前の銀杏も黄葉していますが、どういうわけか今年は銀杏の実がつきませんでした。銀杏の実をご近所共々楽しみにしていたのですが、残念です。京都御所の周りの銀杏は実をつけていますが、ブッシュさんの警備が厳しかったためか、採る人も例年より少ないような気がします。
さて、来年正月の8日(日)に多元的古代研究会のお招きで、東京で講演することになりました。同会ではこれまでも何回が講演させていただきましたが、高田かつ子前会長が亡くなられてからは、初めての講演となります。東京に行っても高田さんはもういないと思うと、暗い気持ちになりますが、高田さんの御意志を継ぐためにも頑張って講演しようと思います。
テーマは先日名古屋で講演したときと同じで次の通りですが、「出雲神話の史料批判」は更に進展した内容をお話しできると思います。
(1)九州王朝の近江遷都
(2)古層の神名−出雲神話の史料批判−
(3)稲員家系図(九州王朝系系図)の紹介
時間や会場など詳細は多元的古代研究会のホームページを御覧下さい
昨日は関西例会がありました。好論目白押しで、気分がよくなり三次会まで付き合い、おかげで今日は朝からバテ気味です。
水野代表の報告を含めると9人の発表があり、進行役の西村さんは大変だったと思います。特に興味深かった報告をいくつか紹介しますと、竹村さんの九州旅行の報告ではオープンしたばかりの九州歴史博物館の様子がうかがえて、私も行きたくなりました。
伊東さんの報告は、磐井の後を継いで九州王朝の王になったと思われる葛子の墓、鶴見山古墳よりも同時代の王塚古墳(桂川町、装飾壁画古墳)の方がはるかに立派というもので、この指摘は示唆的でした。九州王朝の王統譜を研究する上で、考古学的知見による比較検討の必要性に気づかせていただきました。
冨川さんの報告は、六国史に見える「朝廷」「朝庭」の全抽出を行うというベーシックな研究でしたが、その結果は大変興味深いものでした。『日本書紀』で地名+朝廷という表記の初出が天武紀の「近江朝廷」であり、逆に見ると、それまでは大和朝廷内部では自らの宮殿を「朝廷」とは呼んでいなかったということにはならないでしょうか。もしそうだとすれば、大和朝廷の始まりは天智の近江朝廷からということになります。「不改常典」問題とも関連して面白い問題に発展しそうです。
関西例会はますます活況を帯び、面白くなっています。皆さんも是非ご参加下さい。参加費は500円です。
〔古田史学の会・11月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「シルクロード講座・西陜歴史博物館王世平先生」
○研究発表
シルクロード知ったかぶり(豊中市・木村賢司)
楽しい九州旅行(木津町・竹村順弘)
皇暦について(奈良市・飯田満麿)
鶴見山古墳発見の円体武装石人について(生駒市・伊東義彰)
釈日本紀の九州王朝(向日市・西村秀己)
古層の神名─出雲神話の史料批判─(京都市・古賀達也)
彦島物語─国譲り─(大阪市・西井健一郎)
「大和朝廷」説の始まり(3) (相模原市・冨川ケイ子)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・「ギリシア祭文」論・条里制の開始・他
「パリは燃えているか」
京都は夕刻からずっと雨が降り続いています。雨の週末は原稿を書いたり、読書の時間に当てていますが、その時にはお気に入りのCDを聴きながらということが習慣となっています。以前はT-SQUAREのHISTORY(Welcome to the Rose Garden収録、1995)をよく聴いていましたが、最近は加古隆さんの「パリは燃えているか」(NHKスペシャル「映像の世紀」テーマ曲)がお気に入りです。映像音楽の傑作といわれるこの曲は、皆さんも一度はお聴きになったことがあるのではないでしょうか。ちなみに、古田先生は中島みゆきの曲を聴きながら原稿を書いていたというお話を昔うかがったことがあります。わたしも中島みゆきは大好きです。
「パリは燃えているか」を聴いていると、フランスでの若者達の暴動が心配になります。パリ市には本会会員のOさん(モンマルトルの画家)もおられますので、なおさらです。
ご存じの方も多いと思いますが、「パリは燃えているか」はヒットラーの言葉とされています。ノルマンディー上陸作戦以後、連合軍によるパリ解放が目前に迫ったとき、ヒットラーは部下の将軍にパリの徹底的破壊を命令します。しかし、その将軍は文明の遺産であるパリを破壊することを恐れ、命令に従わず連合軍に降伏します。そのとき、将軍への電話でヒットラーが叫んだ言葉が「パリは燃えているか」でした。
加古隆さんの名曲「パリは燃えているか」は人類の歴史と、その中で同じ過ちを繰り返す人間の悲しさが表現されています。わたしがこの曲を聴きながら歴史研究論文を書くというのも、何か深い縁があってのような気がします。
今夜はまだ雨が降り続いています
わたしの故郷、久留米市には神代と書いてクマシロと読む地名があります。クマという音に神という字を当てられていることから、神様のことをクマと呼んでいた時代や人々のあったことがうかがえます。
地名でも熊本や球磨・千曲・阿武隈・熊毛・熊野などその他多数のクマが見られます。これら全てが神名のクマを意味していたのかは判りませんが、球磨や熊本などは熊襲との関係から、神名のクマの可能性大です。とすれば、熊襲の場合、クマもソも古層の神名となり、これはただならぬ名称ではないでしょうか。記紀では野蛮な未服の民のような扱いを受けていますが、実はより古い由緒有る部族名のように思われます。
『日本書紀』神功紀には千熊長彦や羽白熊鷲などクマのつく人名が見えます。これらも神名クマに由来していたのではないでしょうか。
このように考えてみると、球磨川は神様の川となり、熊笹は神様の笹、動物の熊は神様そのもの、ということになるのかも。これも面白そうなテーマです。どなたか本格的に研究されてみてはいかがでしょうか。
11月6日、名古屋市公会堂で講演をさせていただきました(古田史学の会・東海主催)。終了後の懇親会も含めて楽しい一日でした。テーマは予定していた「九州王朝の近江遷都」の他に、「稲員家系図の紹介」と「古層の神名−出雲神話の史料批判−」を急遽付け加えました。特に「古層の神名−出雲神話の史料批判−」は前々日の金曜日の夜に気づいた問題で、この時初めて発表したものです。
そして、「そ」の神様について参加者から、「石上神社」のイソノカミも一例ではないかと、貴重な示唆をいただきました。また、帰宅すると何人かの読者の方からメイルが届いており、「そ」の神様について多くの情報が寄せられていました。ありがとうございました。その中から、第9話「明治時代の九州年号研究」で紹介しました冨川ケイ子さん(本会会員・相模原市)からのメイルを転載します。大変参考になる知見です。
古賀達也様
「洛中洛外日記」楽しく拝読しております。
ところで、「そ」の神は、延喜式を見ただけでも、「ひめこそ」神社のほかに、「はむこそ」神社、「あまみこそ」神社、「いそ」神社、「をこそ」神社、「そらひこ」神社など、たくさんの「そ」の神がいると思いますが・・・。
人名では、ヤマトトトヒモモソ姫が著名ですが、そのほかにも孝昭天皇の皇后に世襲足姫(ヨソタラシ)という人がいて、瀛津世襲(オキツヨソ)の妹とあり、崇神紀に蘇那曷叱知(ソナカシチ)、景行紀に神夏礒媛(カムナツソ)、神功紀に葛城襲津彦(ソツヒコ)、推古紀に蘇因高(ソインコウ)、そしてもちろん蘇我氏。変わったところでは、筑前国嶋郡川辺里戸籍の冒頭に、卜部乃母曾(ノモソ)がいました。なお、「続日本紀」(天平11年正月ほか)に「倭武助」という人の「やまとのむそ」という読みが以前から気にかかっています。
冨川ケイ子
古層の神名「くい」
大山咋や三島溝咋など「くい」を持つ神名もあります。地名などにも羽咋・名久井岳・福井・鯉喰などがあります。この神名クイは大陸側にいるクイ族との関係が考えられますが、古代日本列島と大陸との交流が頻繁だった証拠かもしれませんね。
この神名「くい」についは、古田先生とのちょっとした思い出がありますので、ご紹介しましょう。津軽の和田家文書調査で古田先生とご一緒したとき、車中でクイ神が話題となりました。そのおり、当時サリン事件などで話題となっていた某宗教団体の施設がある上九一色村について、古田先生がこの村名はカミク・イッシキ村ではなく、カミ・クイ・シキ村であり、クイを含んだ地名ではないだろうかと言われました。わたしは、なるほどと思いました。
これだけの会話でしたが、後は某教団の仏教理解に対するマスコミの反論がお粗末ではないか、というような話題が続いた記憶があります。もともと古田先生は親鸞研究の専門家なので、なかなか説得力のある思想史的考察をわたし一人でお聞きする機会を得ました。
さて、「ち」「け」「そ」「くい」と古層の神名をテーマとしてきましたが、この件、もう少しお付き合い下さい。
「倭(ヰ)人と蝦(クイ)人」(古田武彦講演録 古田史学会報52号)参照
「ち」や「け」の神様と共に、古田先生は「そ」の神様の存在も提起されています。阿蘇山や浅茅湾(対馬)、木曽などの地名に残っているアソやキソ、熊襲のクマソなどがその例として上げられています。特にアソやアソウの地名は全国に多数有ります。この他にも、「社」の読みにコソがあり、姫社(ヒメコソ)などの例が著名です(『肥前国風土記』)。ちょっと汚い例ですがクソも、この神名に関係ありそうです。
ただ、この「そ」の神様の場合、「ち」や「け」と異なって、はっきりと「〜ソ」とわかる形で神名に残されていないように思います。もし、あれば教えて下さい。逆に言えば、それだけ古い神様なのかもしれません。
最後に、この「そ」の神名についても、わたしは面白いアイデアを持っています。それは、日本の古称の一つである扶桑もフソという神名が語源ではないかというアイデアです。古代日本列島の人々がフソと神様を呼んでいたのを中国人が聞いて、扶桑という漢字を当てたのではないでしょうか。ただし、これは論証抜きの全くの思いつきですので、信用しないで聞き流していただいて結構です。