第134話 2007/07/29

「和田家資料4『北斗抄』十〜総結」発刊
         
       
       
         
            

 弘前市の竹田侑子さんから「和田家資料4『北斗抄』十〜総結」(北方新社刊・2900円+税)が送られてきました。平成17年10月に亡くなられた、お兄さんの藤本光幸氏の事業を引き継がれ、この度刊行されたものです。大変な作業だったと思います。
 先に出された和田家資料3の『北斗抄』一〜十の続刊で、明治・大正期の和田末吉や長作の文も含まれた貴重な史料群です。寛政期から明治・大正・昭和と書
写・書き継がれてきた和田家文書の史料性格を知る上でも第一級の史料です。また、和田家に伝わる膨大な史料の書写・相伝を運命づけられた末吉の感慨なども
記されています。
   この本が、多くの皆さまに読まれることを願っています。


第133話 2007/07/22

ホームページの容量アップ

 この度、古田史学の会では本ホームページの容量を大幅にアップし、情報量を増加させることを会員総会にて、予算措置も含めて決定しました。これからその作業が横田さん(事務局次長)により本格的に始められます。ご期待下さい。

    昨日、関西例会が開催され、初めての方の参加が3名あり、遠くは上海からもみえられ、活況でした。発表者も多く、時間配分も大変ですが、常連組の発表が上手くなり、助かっています。内容は次の通りです。
 
  〔古田史学の会・7月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 私の「常識」と他人の「常識」(豊中市・木村賢司)
  2). 倭人伝解釈の新視点(姫路市・野田利郎)
  3). 「持統紀の真実」概論(奈良市・飯田満麿)
  4). 愛知県の遺跡めぐり(木津町・竹村順弘)
  5). 十例目の神籠石「唐原神籠石」の発見(たつの市・永井正範)
  6). 古田先生・久留米大学講演と古田史学の会・四国の史跡めぐりでの講演(たつの市・永井正範)
  7). 「倭太后」─『万葉集』に見る「倭」から─(相模原市・冨川ケイ子)
  8). 「斉明」の筑紫遠征は無かった(川西市・正木裕)
  9). 磐余彦、東征す(大阪市・西井健一郎)
 
  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・『伊勢物語』の伊勢・他(奈良市・水野孝夫)
  ○古田先生との東北調査旅行の報告(奈良市・太田副代表)

 


第132話 2007/06/23

御所のミミズク

 梅雨の晴れ間の今日、御所の梅林にミミズクが来ているとの話しを聞いて、買ったばかりのデジカメを手に、撮影に行って来ました。紫宸殿警備のお巡りさんに たずねると、梅林の一番大きな榎の木にミミズクはいるとのこと。既にバードウォッチングや写真撮影している人達がおられたので、ミミズクの居場所はすぐにわかりました。残念ながら私のデジカメの10陪ズームでは小さくしか写りません。本格的な望遠レンズを持っておられた人に覗かせてもらいました。確かにミミズクでした。
 どこから来たのか、御所にミミズクとは珍しい発見でした。カラスや鳩、雀はたくさんいるのですが。池には一羽だけですが鵜もいました。御所は見所が一杯です。
 さて、6月の関西例会は会員総会のため午前中だけでしたが、次の発表がありました。午後の総会に先だって、大下さんと正木さんの講演もありました。プロジェクターを使った聞き応えと見応えのある発表でした。
  〔古田史学の会・6月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  中国古代青銅器について(豊中市・木村賢司)
  竹原古墳の天呉(木津町・竹村順弘)
  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・赤塗り神社と白木造り神社・他(奈良市・水野孝夫)
 
  〔記念講演会〕
  1). 大下隆司(事務局次長) 「バルディビアへの旅」
  2). 正木 裕(会員)    「九州年号で読み直す日本書紀」


第131話 2007/06/02

『古田史学会報』80号のご案内

 このところ、仕事が忙しくて会の活動を大下さん(事務局次長)に任せきりで、申し訳なく思っています。そんな中、ようやく『古田史学会報』80号の編集が完了しました。掲載稿は次の通りです。個人的には新たな論文が書けず残念ですが、その分、他の執筆陣に頑張っていただき、内容的には豊富なものとなりま した。

○続・「バルディビアへの旅」
   九州の甕棺と縄文土器 豊中市 大下隆司
○九州年号で見直す斉明紀
    安倍比羅夫蝦夷討伐と有間皇子の謀反 川西市 正木 裕
○太田覚眠研究の現在と未来
    —さらなる探求の門出に際して— 松本郁子
○素人手作り「古田史学会報」冊子 豊中市 木村賢司
○連載小説「彩神」第十二話
    シャクナゲの里(3) 深津栄美
    ***古田武彦『古代は輝いていた』より***
○古田武彦氏講演会のご案内
○バルディビア旅行で考えたこと 仙台市 菊地栄吾
○「古田史学会報」冊子 I〜Vをさーと見ての私の思い出 豊中市 木村賢司
○「私考・彦島物語 II・外伝2 多紀理媛と伊勢神宮1」
     —誰がいつ、伊勢神宮を創ったか1—
一、倭・笠縫邑のヒモロギ 大阪市 西井健一郎
  ○本会ホームページ「古賀事務局長の洛中洛外日記」より
    藤原宮出土木簡の考察 京都市 古賀達也


第130話 2007/05/26

丹後半島へのドライブ

 仕事の必要上からとうとう自動車免許をとりました。3月から4月は、親子ぐらい年の離れた若者達に混じって自動車教習所に通い、5月の連休明けに免許を取得しました。そして、先日、出張で京丹後市大宮町まで社用車プリウスで行ってきました。幸い、お天気に恵まれ、事故もなく無事帰ってきました。ただ、下りの急カーブや京都縦貫道の高速運転はちょっと怖かったです。

  途中、100メートル級の前方後円墳などもあり、今度は仕事抜きで行ってみたいと思いました。さて、このところ忙しくて5月の関西例会を欠席しましたが、発表内容は下記の通りでした。
 
  〔古田史学の会・5月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 素人手作り『古田史学会報』冊子(豊中市・木村賢司)
  2). 倭と日本のよみ方2(木津町・竹村順弘)
  3). 「日本」のルーツは「(畝尾の)木本」である(大阪市・西井健一郎)
  4). 三世紀中国の地図事情と「短里」(神戸市・田次伸也)
  5). 九州年号で見直す斉明紀(川西市・正木裕)
  6). 東北王朝in『真澄全集』〔安日の巻〕(奈良市・太田斉二郎)
  7). 宇佐探訪報告(向日市・西村秀己)
  ○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・美努岡万墓誌『倭姫世記』・他(奈良市・水野孝夫)


第129話 2007/04/29

難波収さんとの一夕

 第107話「弥生の高層建築」で紹介した難波収さんが、オランダから一時帰国され、京都に逗留されていたので、昨夕、二人で遅くまで食事とお酒と会話を楽しみました。この5月には81歳になられる難波さんは、古くからの古田先生の支持者です。帰国されたときは、お会いし親交を暖めています。
 私からは古田史学の会や古田史学を取りまく状況をお話し、難波さんからは今の日本を憂慮するお話をお聞きするのが常となっています。「日本の政治家はダメだが、食べ物は旨い」とおっしゃられていたのが印象に残りました。また、オランダの知人が書かれた本「わたしは誰の子−父を捜し求める日系二世オランダ人たち」葉子・ハュス−綿貫著(梨の木舎、1800円+税)をいただきました。前の戦争の傷跡が現在も深く残っていることを改めて認識させられる本のようです。この連休にしっかりと読みたいと思います。
 難波さんとお会いできるのは、次はいつになるのでしょうか。夜のバス停で何度も別れの握手をかわしました。
 ところで、ちょっと遅くなりましたが、21日に行われた4月例会の発表内容をお知らせします。

〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1. この俺が・・(豊中市・木村賢司)
  2. 倭と日本のよみ方(木津町・竹村順弘)
  3. 「泣澤女神」と「狭狭の小汀」の関係(大阪市・西井健一郎)
  4. エクアドル〈縄文・弥生〉のフォロー I(豊中市・大下隆司)
  5. 『日本書紀』の記事の長さ(相模原市・冨川ケイ子)
  6. 「大化改新」虚と実(奈良市・飯田満麿)
  7. 安日は神武によって東日流に放逐された(奈良市・太田斉二郎)
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・『倭姫世記』の淡海浦論証追加・他(奈良市・水野孝夫)


第128話 2007/04/07

『古田史学会報』79号のご案内

 『古田史学会報』79号の編集・印刷も終わり、もうすぐ会員の皆さまに届きます。大下さんの「バルディビア探究の旅」報告などおすすめです。また、正木さんの『日本書紀』編纂における「34年遡り」問題は、九州王朝史料からの盗用方法についての新たな分析手法として注目されます。なお、両者には6月の会員総会にて講演していただきます。お楽しみに。79号の内容は次の通りです。

               
  ○バルディビア探究の旅−倭人世界の南界を極める−
    古田史学の会・事務局次長(豊中市) 大下隆司
  ○九州王朝と庚午年籍 京都市 古賀達也
  ○日本書紀の編纂と九州年号(三十四年遡上の手法分析) 川西市 正木 裕
  ○武烈紀における麻那君・斯我君記事の持つ意味
    冨川ケイ子氏 武烈天皇紀における「倭君」(『古田史学会報』78号)を読んで
    たつの市 永井正範
  ○『日本書紀』に引用の「百済本記」記事 奈良市 飯田満麿
  ○多紀理毘売と田心姫(後編) 大阪市 西井健一郎
  ○巣山古墳第7次調査現地説明会 生駒市 伊東義彰
  ○『古代に真実を求めて』10集概要
  ○定期会員総会のお知らせ
  ○古田史学の会 関西例会のご案内
  ○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
  ○2007年度 会費納入のお願い
  ○事務局便り


第127話 2007/03/19

バルディビア調査旅行の報告

 17日の関西例会では、古田先生のバルディビア調査旅行に随行された大下さん(本会事務局次長・スペイン語通訳)と竹内さん(本会会員・岐阜市在住)の両名から旅行の報告がなされました。現地でバルサの船を造り、日本への航海を準備している青年との出会いなど、感動的なエピソードを交えた報告で、大変素晴らしい報告でした。

 関西例会参加者だけではもったいないので、6月17日(日)に開催予定の会員総会記念講演会で、大下さんからカラープロジェクターを使用して詳細な報告をしていただきます。是非、おこし下さい。会場や時間などは後日、お知らせいたします。
    なお、例会の発表内容は次の通りでした。
 
  〔古田史学の会・3月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 『周髀算経』と「短里」(神戸市・田次伸也)
  2). 丹後風土記逸文「奈具社」(大阪市・西井健一郎)
  3). 「東日流」in「真澄全集」(奈良市・太田斉)
  4). 武烈紀における「倭君」3(相模原市・冨川ケイ子)
  5). バルディビア調査旅行(豊中市・大下隆司)
  6). エクアドルの旅─古田武彦と共に(岐阜市・竹内強)
  7). 古田武彦論証の検証と強化─「万葉の覚醒」から「壬申大乱」まで(川西市・正木裕)
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・斉明紀五年三月項の不可解・高市皇子天皇説・他(奈良市・水野孝夫)


第126話 2007/03/16

発刊!『古代に真実を求めて』第10集

  古田史学の会編集『古代に真実を求めて』10集が明石書店より近日中にも発刊されます。今号も古田先生の講演録2編の他、会員による研究論文等、多元史観に基づいた重要な研究成果が満載です。価格は2200円+税(240頁)です。是非、最寄りの書店にてお求め下さい。なお、本会2006年度賛助会員 (06Y)の皆さんには1冊サービスとして発送します。届かない場合は、事務局まで御一報下さい。
  内容は次の通りです。
 
  〔特別掲載〕 古田武彦講演録
  ○万世一系の史料批判
    — 九州年号の史料批判と古賀新理論の展望
  ○八面大王の謎
 
  〔研究論文〕
  ○木簡に九州年号の痕跡 — 三壬子年」木簡の史料批判 古賀達也
  ○「元壬子年」木簡の論理 古賀達也
  ○和田家文書の真実性を考古学資料に基づき証明する 佐々木広堂
  ○北涯の地の「上・下」
    — 蝦夷地(北海道)上之国・下之国の地名由来 合田洋一
  ○大野城太宰府口城門出土木材に就いて 飯田満麿
  ○法隆寺移築元の追求 その二 飯田満麿
  ○倭王になろうとした磐井 伊東義彰
 
  〔フォーラム〕
  ○記紀の彦島 — 神々の原域 西井健一郎
 
  〔付録〕
  ○会則、世話人、地域の会名簿、投稿要領、会員募集
 
  〔編集後記〕


第125話 2007/03/15

エクアドルの甕棺墓

 エクアドルのバルディビア調査旅行から古田先生や大下さん(本会事務局次長)らが、多大な研究成果と共に無事帰国されました。そられの詳細な報告は別途報告会を企画していますが、その成果の一つに、エクアドルから出土していた甕棺(みかかん)墓があります。

 二つの甕棺の開口部どおしを繋ぎ合わせたもので、北部九州の弥生時代の甕棺墓に極めて類似した墓制です。ただ、北部九州のものは横に寝かされています が、エクアドルのものは縦に立てられています。年代も紀元前500年から紀元後500年と博物館によって説明がまちまちだったそうです。
 しかし、バルディビアの縄文式土器と共に、甕棺墓まで日本列島のものと類似していたとは、驚きでした。これらの類似は古代倭人が太平洋を渡ったとする『三国志』倭人伝の記述が正確であったことの証拠といえます。
 更に、いわゆる「邪馬台国」論争にも決定的な意味を持っていると思われます。何故なら、太平洋を渡った倭人は、甕棺墓という墓制を持った北部九州の倭人だったということになり、邪馬台国畿内説はますます成立困難となったからです。
 ご高齢をおしてのエクアドル調査旅行に、わたしは心配していましたが、こうした成果を携えて帰国された古田先生に、あらためて脱帽です。本当にすごい先生です。


第124話 2007/03/06

藤原宮の紀年木簡

  藤原宮出土の「評」木簡群と同様に注目されるのが、紀年木簡群です。紀年が書かれていますから、木簡制作年が判断でき、史料としてとても貴重です。藤原宮をはじめ、紀年木簡にはONラインを境に顕著な変化があります。700年以前は芦屋市出土の「元壬子年」木簡を除けば、すべて干支のみで紀年が表記され、九州年号は記されていません。
 この史料事実は、近畿天皇家が年号に無関心であったのではなく、強い関心を示していた証拠です。何故なら、701年以後の紀年木簡は近畿天皇家の年号を用いているからです。ONラインを境にして、紀年表記の形式が干支から年号へと見事に一変しているのです。
 すなわち、近畿天皇家は支配下に置いた諸国からの貢進物の荷札の木簡にさえ、九州年号を使用させず、自ら年号を制定した701年以後はその年号を使用させるという、極めて露骨な政策をとったとしか思えないのです。同時に、藤原宮などに貢進物を送った諸国は、そうした近畿天皇家の政策に忠実に従ったのであり、その結果が、現在までに出土している紀年木簡の姿と言えます。
 このように、紀年木簡の示す史料事実は、藤原宮時代の近畿天皇家の権力を推し量る上で貴重です。この時期、九州王朝は衰退の一途を辿っていたことも、同時に推測できるのではないでしょうか。


第123話2007/02/25

藤原宮の「評」木簡

この一年間、研究してきたテーマに木簡の史料批判があります。その成果として、「元壬子年木簡」など、九州年号研究にとって画期的な発見もありましたが(第69話、72話、他)、現在わたしが最も注目しているのは藤原宮出土の「評」木簡群です。

 『日本書紀』や『続日本紀』によれば、藤原宮は持統八年(694)から平城京遷都する和銅三年(710)年まで、近畿天皇家の宮殿として機能したのですが、そこから出土する「評」木簡は、九州王朝から近畿天皇家へ権力交代する701年の直前の時期に当たる木簡であることから、権力交代時の研究をするうえでの第一級史料といえます。
たとえば、多くの木簡は「荷札」の役割を果たしたと思われますが、各地の地名を記した「評」木簡を見てみると、どのような地域から藤原宮へ貢物が届けられたかを知ることができ、当時の近畿天皇家の勢力範囲を推定することができます。
ちょっと古いデータですが、角川書店の『古代の日本9』(昭和46年)掲載資料によれば、東は安房国の「阿波評」や上野国の「車評」、西は周防国の「熊毛評」などがあり、近畿だけでなく関東や東海、中国地方の諸国の「評」地名を記した木簡が出土しています。したがって、7世紀末時点では大和朝廷は東北を除いた本州全体を支配下に置いていたと考えられます。
逆に言えば、この時点、九州王朝は九州島や四国ぐらいしか実効支配していなかったのかもしれません。そして、こうした背景(権力実態)があったからこそ、701年になってすぐ近畿天皇家は年号や律令の制定、評から郡への一斉変更をできたのではないでしょうか。藤原宮の「評」木簡を見る限り、このように思わ れるのです。