古田史学の会一覧

第1131話 2016/01/31

正木さんが「誰も知らなかった古代史」開催

 古田史学の会・事務局長の正木裕さんが「誰も知らなかった古代史」というテーマで懇談と発表の会を開催されることになりました。もちろん古田史学に基づく内容で、講師(カタリスト)も「古田史学の会」会員のお名前が並んでいます。わたしもカタリストとして参加したいと考えています。
 とても楽しそうな企画です。聴講したい方や発表したい方は正木さんまでご一報ください。正木さんから送られてきた案内を下記に転載します。

 まちライブラリー@もりのみやキューズモールで「誰も知らなかった古代史」シリーズを正木裕(古田史学の会・事務局長)主催で月1回程度の頻度で開催します。
 テーマごとにカタリストを変え、「当たり前のように言われてきたけれど考えてみれば不思議だな」と思われる古代の歴史について、外国史書・遺跡遺物・化学分析など様々な観点から見直し、「知られていなかった」日本の古代の姿を探り話し合います。

 第1回は2月19日(金)18:30-20:00。テーマは「天王寺と四天王寺」。カタリストは服部静尚(古田史学の会・会員)

 第2回は3月25日(金)18:30-20:00。テーマは「現代日本の”儀礼”は中国殷・周に由来する」カタリストは正木裕(同、事務局長)

 第3回は4月22日(金)18:30-20:00。テーマは「縄文・弥生人は南米に渡った」カタリストは大下隆司(古田史学の会・会員)…

 ◆定員は20名、参加費500円(ドリンク付)当日は歴史関係・時代小説・読み物など本を1冊持参ください。冒頭で本を用いて自己紹介の時間があります。(可能であれば本をまちライブラリーに寄贈頂ればと思います)
 申し込みは正木Email:babdc106@jttk.zaq.ne.jpまで。若しくはフェイスブック(FB)をお開きの方は正木裕のFBにコメントしていただくか、「まちライブラリー」FBのイベント案内から申し込んでください。


第1128話 2016/01/24

「多元的国分寺」研究サークルを結成

 昨日は東京新聞の小寺勝美さんとお会いし、3時間にわたり対談しました。小寺さんは古田先生の訃報を扱ったコラム記事(邪馬「壹」国の人。東京新聞12月1日付朝刊「こちら編集委員室」)を書かれた方です。とても誠実で正確な内容の記事でしたので、是非お会いしたいと思い、東京での邂逅となりました。

 小寺さんは学生時代に古田先生の著作に出会われたとのことです。佐賀市のご出身で、フクニチ新聞社に勤務された後に東京新聞に入られたとのこと。今春、「古田史学の会」編集の『邪馬壹国の歴史学』(ミネルヴァ書房)と『古田武彦は死なず』(仮称。『古代に真実を求めて』19集、明石書店)の発刊記念講演の東京開催を検討していますが、そのときに取材を受けることになりました。

 夕方からは埼玉県の肥沼孝治さんと神奈川県の宮崎宇史さんと夕食をご一緒しました。話題は昨年から急進展を見せた「多元的国分寺」論、すなわち九州王朝の多利思北孤による国分寺建立の詔勅が6世紀末頃に出され、その古い国分寺の痕跡が各地に見られるというテーマです。肥沼さんからは近年発見された上野国国分寺の伽藍跡について報告されました。宮崎さんからは橿原市にある「大和国国分寺」の現地調査報告がなされました。わたしからは『聖徳太子伝記』に見える、告貴元年(594)の年に「66国の国府寺建立」記事と、大和と摂津に国分寺が二つあることの論理性(王朝交代における権力中枢地に発生しうる現象であること)について説明しました。

 そして、わたしからの提案で「多元的国分寺」研究サークルを三人で立ち上げ、ホームページの開設と全国の国分寺研究者に「多元的国分寺」研究(略称「多分研」?)への参加を呼びかけることになりました。ホームページが開設されましたら、ご報告します。

 三人の古代史論議は3時間以上に及びました。天気予報では夜から雪になるといわれていましたが、東京は比較的暖かく雪は降りませんでした。わたしは近くのホテルに帰るだけでしたが、お二人は遠くに帰られるので、夜遅くまで引き留めることになって申し訳ないことをしてしまいました。
これから古田先生の追悼会(文京シビックセンター)に向かいます。


第1125話 2016/01/21

合田洋一さんが愛媛大学で講演

 1月20日(水)に「古田史学の会」全国世話人(古田史学の会・四国 事務局長)の合田洋一さん(松山市)が愛媛大学に招かれ、学生に対し「古代に真実を求めてー聖徳太子を事例として」と題し講演を行なわれました。
 講演では、「一元史観」と「多元史観」という視点から、神武天皇に始まる大和の天皇家が日本列島を連綿と統治していたとする「一元史観」と、古代には日本列島各地に王国・王朝があったとする「多元史観」のどちらが真実なのかについて、志賀島の「漠委奴国王」の金印や『三国志』「魏志倭人伝」の邪馬壹国と女王・卑弥呼、「日出ずる処の天子」と「聖徳太子」、『旧唐書』に別国と記される「倭国」「日本国」などを例にあげ、「古田史学」が追及してきた問題を解りやすく解説しました。工学部など理系の学生(2回生)が中心でしたが約110人が熱心に聴講されたとのことです。
 古田先生はご逝去されましたが、追悼講演会が大阪府立大学で盛大に開催され、その直後に国立愛媛大学でも古田史学に基づく講演が開催されたことは、多元史観にもとづく古代史学のうねりを感じます。今後も、各地の会員の皆さん、友好団体の方々のご協力を得て、講演活動を積極的に展開し、古田武彦先生の切り開かれた多元史観の発展に努めていきたいと思います。


第1124話 2016/01/19

盛況と感動の古田先生追悼講演会

 17日の古田先生追悼講演会は大盛況でした。ご来賓をはじめ、ご来場いただいた皆様や運営にご協力いただいたスタッフの方々、追悼文をお寄せいただいた皆様に心より御礼申し上げます。懇親会も服部静尚さんの名司会もあって、盛況でした。ご遺族を代表してご挨拶していただいたご子息の古田光河さんの涙には、わたしももらい泣きしてしまいました。
 新井宏先生のご講演は、銅鏡の鉛成分の解析という科学的手法による新発見の紹介で、とても勉強になりました。もっと充分に時間をとって説明していただく機会を作りたいと考えています。
 24日は東京でのお別れ会です。わたしも出席し、先生の業績紹介をさせていただくことになっています。無事お別れ会を終えることができましたら、次は『古代に真実を求めて』古田先生追悼号の発行です。今後とも「古田史学の会」会員の皆様や関係者の皆様のお力添えを賜りますよう、お願い申し上げます。
 最後に追悼講演会の様子を正木事務局長がご自身のfacebookに綴っておられますので、転載させていただきました。

〔正木裕さんのfacebookより〕
 日曜日古代史研究者の古田武彦先生の追悼会・講演会が大阪府大I-siteなんばで開催され、東京古田会・多元的古代史研究会や古田史学の会仙台・長野・東海・関西・四国・九州の代表ほか全国から学者・研究者・古代史ファンが多数参加し、会場が埋め尽くされました。
 各会からの弔辞に加え荻上紘一大妻大学学長、池田大作創価学会インターナショナル会長、中山千夏、桂米團治さんはじめ多彩な方々から弔意文が寄せられ、古田氏の逝去を惜しみました。
 追悼会後、金属学の研究者元韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏による「鉛同位体から視た平原鏡から三角縁神獣鏡」と題した講演会が催され、鏡に含まれる鉛の分析をもとに客観的で説得力ある「三角縁神獣鏡国産説」が語られました。
 懇談会にも80名近い参加で、I-site横のオルケスタは満席。参加者は次々に先生の思い出を語り、大いに盛り上がりました。先生が亡くなられても、各地の会員、他の友好団体の方々の熱意は衰えることなく、先生の切り拓いた多元史観の発展に努めていくことが確認でき有意義な会となりました。


第1123話 2016/01/16

倭人伝「その北岸、狗邪韓国」大激論

 新年最初の関西例会が本日開催されました。関西例会らしく、新年早々から大激論となりました。冒頭、正木事務局長から明日に迫った古田先生追悼講演会の入念な打ち合わせがあり、例会参加者の協力を要請しました。
 出野さんから『三国志』倭人伝の「その北岸、狗邪韓国に到る、七千余里」の理解として、韓国の外側を水行した船から見て北側にある「北岸」とされ、古田説の韓国内陸行に反対する説が示されました。それに対して多くの批判が参加者から出され、厳しい論争が続きました。「学問は批判を歓迎する」とわたしは考えていますから、実に関西例会らしい素晴らしい論争でした。
 わたしは出野さんの読解のうち、「郡から倭に到る」とある倭人伝の「倭」が、「倭国の都」ではなく朝鮮半島内の「倭」である狗邪韓国までとする理解に、有力な見解であると賛意を表明しました。出野さんは狗邪韓国を日本列島内の倭国とは別国の朝鮮半島内の「倭」とされているのですが、わたしは倭国は対馬海峡にまたがる海峡国家とする古田説が妥当であり、狗邪韓国がその倭国の「北岸」と考えています。しかし、その「郡から倭に到る」の「倭」とは、倭国との国境(狗邪韓国)までと理解する点については出野さんの読解も成立すると思いました。ちなみに、古田先生は『「邪馬台国」はなかった』では「郡から倭に到る」の「倭」を「倭国の都」(倭国の中心領域)とされています。
 今回の出野さんの発表により気がついたのですが、郡から倭の都まで至ることを示す記事は、行程記事の終わりの方に「郡より女王国に至る、万二千余里」とあります。ここでは倭国の都がある「女王国」に至るという表記となっており、狗邪韓国までの行程を示す「郡より倭に至る」とは目的地表記(「倭」と「女王国」)が異なっているのです。すなわち、到着点(通過点)が倭との国境(狗邪韓国、七千余里)と倭の都(女王国、万二千余里)と書き分けられているのです。この点、古田先生も後の著作で触れておられたように記憶しています。
 韓国内を陸行とするのか水行とするのか、狗邪韓国を倭国の北岸とするのか、朝鮮半島内の別国の「倭」とするのかで、出野さんとは意見が異なりますが、論争により倭人伝行程記事に対する認識が深まりました。まさに「学問は批判を歓迎する」を実感できた論争でした。
 1月例会の発表は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
○明日の「古田先生追悼講演会」の打ち合わせ(正木事務局長)

①狗邪韓国についての再考察(奈良市・出野正)
②代始改元と九州年号(八尾市・服部静尚)
③「名太子為利」の訓みの疑問(高松市・西村秀己)
④『日本書紀』宣化紀に盗用された磐井と「磐井の乱」記事の実際(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼文(森嶋瑤子様)・堂門冬二著『楠木正成』を読む・寄手塚味方塚訪問の想い出・室伏志畔著『薬師寺の向こう側』贈呈受・その他


第1122話 2016/01/13

本年5月に講演を2件行います

 昨日は大阪市西区の大阪科学技術センターにて近畿化学協会・機能性色素部会の定例会で講演(草木染から機能性色素へ -染料と染色の化学史-)しました。講師はわたしの他に、村中厚哉さん(理化学研究所)と高坂貴浩さん(セーレン)でした。最先端研究開発に携わっている化学者が相手でしたので緊張しましたが、「染料と染色の化学史」という切り口が思いのほか好評で、近畿化学協会誌への寄稿や大阪市立工業研究所の方から講演依頼をいただきました。
 新年も年始から講演依頼が続いていますが、特に5月は既に2件の講演が決まりました。5月20日(金)に大阪でTES会西日本支部の年次大会での特別講演を行います。講演テーマは古代史と化学の二分野でとのご依頼でしたので、「理系が読む倭人伝」と「草木染から機能性色素へ」としました。(TES:繊維製品品質管理士)
 28日(土)には久留米大学で古代史の講演を行う予定です。当日は正木裕さん(古田史学の会・事務局長)も講演されるとのことでしたので、正木さんと相談のうえ、昨年、東京家政学院大学で行った「九州王朝の『聖徳太子』」をテーマとすることにしました。二人で講演内容を分担し、参加者にわかりやすいように工夫したいと考えています。「多利思北孤は久留米にいた」という内容で構想を練っています。


第1121話 2016/01/12

古田先生追悼講演会、迫る! 済み

 大阪府立大学i-siteなんばでの古田武彦先生追悼講演会(17日)が迫ってきました。当日、ご披露させていただく各界からの追悼メッセージや先生の著作目録を収録した案内パンフレットももうすぐ完成します。このパンフレットは当日来場者に無料で進呈いたします。
 追悼会に先だって、追悼文を送っていただいた方々のお名前をご紹介します。(順不同)

荻上紘一様(大妻女子大学学長・新東方史学会会長)
池田大作様(創価学会インターナショナル会長)
高島忠平様(旭学園理事長・考古学者)
佐藤弘夫様(東北大学教授・日本思想史学会前会長)
中山千夏様(作家・タレント)
桂米團治様(落語家)
森嶋瑤子様(経済学者森嶋道夫氏夫人)

 この方々の追悼メッセージは『古代に真実を求めて』19集(明石書店より今春発行)に掲載します。
 追悼会では友好団体の東京古田会の藤沢会長、多元的古代研究会の安藤会長からもご挨拶をいただきます。主賓としてミネルヴァ書房の杉田社長からは弔辞を賜ります。「古田史学の会」の地域の会などの代表からもご挨拶いただきます。わたしからは、古田先生の代表的著作と業績について解説させていただきます。ご遺族を代表され古田光河様からも最後にご挨拶していただく予定です。
 追悼会の後に新井宏先生(韓国国立慶尚大学招聘教授)のご講演「鉛同位体比から視た平原鏡から三角縁神獣鏡」となります。鉛同位体分析による銅鏡分析の最新研究成果をお話しいただけるとのことで、わたしも楽しみにしています。
 講演会終了後は会場の近くのレストラン(オルケスタ)で懇親会(有料)を催し、古田先生を偲びたいと思います。多くの皆様のご参加をお願い申しあげます。
 ※会場などの詳細は「古田史学の会」ホームページ掲載の案内をご覧ください。


第1120話 2016/01/01

シルヴィ・ギエムの「ボレロ」をみて年越し

 大晦日の夜はテレビで紅白歌合戦をみたあと、シルヴィ・ギエムの現代バレエ「ボレロ」をみました。その圧巻のパフォーマンスはとても50歳とは思えない迫力と躍動感溢れるもので、年越しに相応しい番組でした。
 シルヴィ・ギエムは1965年生まれのバレリーナで、デビュー時から100年に一人の逸材といわれました。18歳のときには国際バレエコンクールで金賞など三冠を受賞し、19歳のときには「白鳥の湖」で初主演し、フランスのトップバレリーナとなりました。1988年には所属していたパリ・オペラ座を退団したのですが、そのときフランスでは「国家的損失」といわれたそうです。
 現代バレエの女王、シルヴィ・ギエムの代表作「ボレロ」をテレビで初めてみたのですが、なんと2015年で引退するということで、今回がファイナル公演でした。世界的バレリーナが大晦日の深夜に日本でファイナル公演したのですから、驚きとともに、それをテレビでみながら新年を迎えることができ、とても幸運でした。
 今から思えば、昨年8月に行われたKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」での収録が古田先生の「ファイナル公演」でした。そのとき、米團治師匠からの「これからはどのような研究をされますか」という問いかけに古田先生は「やるべきことはやりました。」と答えられました。いつもなら「こんな発見がありました」とか「○○の研究をやります」と言われてきた先生でしたが、このときは違っていました。そしてわたしたちにあとを託されたのでした。
 2016年、古田先生のあとを託されたわたしたちによる、古田史学・多元史観の第二幕の始まりです。

 昨年12月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 12月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2015/12/02 古田先生追悼会への御来賓とメッセージ
2015/12/04 「東京古田会ニュース」古田先生追悼特集号が届く
2015/12/05 荻上さんと八王子セミナー再開の相談
2015/12/09 「古田史学の会・東海」竹内会長・林さんと
2015/12/12 学問の方法に関する小論執筆
2015/12/18 30年ぶりに訪問「つかしん」
2015/12/21 繊維機械学会誌「せんい」へ寄稿要請
2015/12/25 学振第120委員会から講演要請
2015/12/27 facebookの輪が広がっています
2015/12/29 日本刀の祖「丙子椒林剣」


第1116話 2015/12/30

2015年の回顧『古田史学会報』編

 2015年に発行した『古田史学会報』126〜131号の掲載稿を下記に記しました(例会報告など事務連絡の類は省略しました)。
 昨年に続いて正木裕さんは精力的な研究発表を続けられました。また、古田史学入門編として「壹から始める古田史学」の連載も129号から開始されました。古田先生が亡くなられたことにより、わたしは「追憶・古田武彦先生」の連載を開始しました。
 常連組が安定した研究レベルにより優れた論稿を発表される一方、平田さん(“たんがく”の“た”)、安随さん(「唐軍進駐」への素朴な疑問)、清水さん(四国・香川県の史跡巡り)が会報デビューされました。中でも印象に残っているのが、安随さんの「『唐軍進駐』への素朴な疑問」です。意表を突かれたという意味でも好論でした。
 また、古田先生の最後の対談をラジオ番組でされた桂米團治さんのオフィシャルブログからの転載も感慨深いものとなりました。投稿していただいた皆様に御礼申し上げます。

『古田史学会報』126号(2月)
○平成二十七年、賀詞交換会のご報告  京都市 古賀達也
○犬を跨ぐ  山東省曲阜市 青木英利
○「室見川銘板」の意味するもの  奈良市 出野 正
○盗用された任那救援の戦い -敏達・崇峻・推古紀の真実-(下)  川西市 正木 裕
○先代旧事本紀の編纂者  高松市 西村秀己
○四天王寺と天王寺  八尾市 服部静尚
○盗用された「仁王経・金光明経」講話  川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(上)  京都市 古賀達也
○年頭のご挨拶  代表 水野孝夫

『古田史学会報』127号(4月)
○「張家山漢簡・居延新簡」と「駑牛一日行三百里」  川西市 正木 裕
○短里と景初 誰がいつ短里制度を布いたのか?  高松市 西村秀己
○“たんがく”の“た”  大津市 平田文男
○邪馬台国畿内説と古田説はなぜすれ違うのか  八尾市 服部静尚
○学問は実証よりも論証を重んじる  京都市 古賀達也
○「唐軍進駐」への素朴な疑問  芦屋市 安随俊昌
○『書紀』の「田身嶺・多武嶺」と大野城  川西市 正木 裕
○倭国(九州王朝)遺産10選(下)  京都市 古賀達也
○断念  古田武彦

『古田史学会報』128号(6月)
○網野銚子山古墳の復権  京丹後市 森茂夫
○「短里」の成立と漢字の起源  川西市 正木裕
○「妙心寺」の鐘と「筑紫尼寺」について  札幌市 阿部周一
○長者考  八尾市 服部静尚
○九州王朝の丙子椒林剣  京都市 古賀達也
○「漢音」と「呉音」 皇帝の国の発音  札幌市 阿部周一

『古田史学会報』129号(8月)
○孫権と俾弥呼 -俾弥呼の「魏」への遣使と「呉」の孫権の脅威-  川西市 正木裕
○鞠智城と神籠石山城の考察  京都市 古賀達也
○四国・香川県の史跡巡り  神戸市 清水誠一
○大化改新論争  八尾市 服部静尚
○「相撲の起源」説話を記載する目的  京都市 岡下英男
○九州・四国に多い「みょう」地名  京都市 古賀達也
○会代表退任のご挨拶  水野孝夫
○代表就任のご挨拶  古賀達也
○「壹」から始める古田史学1  古田史学の会事務局長 正木裕

『古田史学会報』130号(10月)
○「・多利思北孤・鬼前・干食」の由来  川西市 正木裕
○「権力」地名と諡号成立の考察  京都市 古賀達也
○「仲哀紀」の謎  千歳市 今井俊國
○九州王朝にあった二つの「正倉院」  松山市 合田洋一
○「熟田津」の歌の別解釈(一)  札幌市 阿部周一
○「壹」から始める古田史学2
 古田武彦氏が明らかにした「天孫降臨」の真実  古田史学の会・事務局長 正木裕
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
○『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会の報告  服部静尚
○「坊ちゃん」と清  高松市 西村秀己

『古田史学会報』131号(12月)
○古田武彦先生ご逝去の報告  古田史学の会・代表 古賀達也
○古代の真実の解明に生涯をかけた古田武彦先生  古田史学の会・事務局長 正木裕
○追憶・古田武彦先生(1)
 蓮如生誕六百年に思う  古田史学の会・代表 古賀達也
○「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載
 「古田武彦先生、逝去」
○昭和44年11月12日 読売新聞第二社会面
 邪馬台(ヤマタイ)国ではなく邪馬壹(ヤマイ)国
○「みょう」地名について -「斉明」と「才明」-  松山市 合田洋一
○垂仁紀の謎  千歳市 今井俊國
○「熟田津」の歌の別解釈(二)  札幌市 阿部周一
○「ものさし」と「営造方式」と「高麗尺」  八尾市 服部静尚
○「壹」から始める古田史学3
 古代日本では「二倍年暦」が用いられていた  古田史学の会・事務局長 正木裕
○割付担当の穴埋めヨタ話⑧ 五畿七道の謎  高松市 西村秀己


第1115話 2015/12/30

2015年の回顧「学問・研究」編

 次は学問・研究について回顧します。2015年も多くの学問的成果や新たな課題が続出し、多元史観・古田学派ならではの業績と経験に恵まれました。

○多元的「国分寺」研究の進展
 国分寺は聖武天皇よりも以前に、九州王朝でも造営されていたのではないかとする意見が以前からありましたが、今年は埼玉県所沢市の会員、肥沼孝治さんからの武蔵国分寺遺跡の方位のぶれ問題の提起により画期的な進展を見ました。9月5日には肥沼さんの案内により、関東地区の古田史学の会・会員とともに現地調査も実施しました。

○「赤淵神社縁起」(九州年号史料)の現地調査
 九州年号「常色」「朱雀」などが記されている九州年号史料「赤淵神社縁起」(天長五年〔828〕成立)を所蔵している赤淵神社(兵庫県朝来市)を訪問し、同神社のご了解の元で写真撮影などの調査を行いました。平安時代に成立した文書に九州年号が記されていることにより、九州年号が鎌倉時代に偽作されたとしてきた一元史観の「仮説」が改めて否定されることとなりました。

○鞠智城現地調査と九州王朝造営説
 従来から古代山城としては異質とされてきた鞠智城(熊本県山鹿市・菊池市)を5月に訪問し、現地調査を行いました。その結果、考古学出土事実などから従来の大和朝廷一元史観による編年よりもやや古く、鞠智城は九州王朝による造営と考えざるを得ないことが明らかとなりました。『古代に真実を求めて』19集にこの研究論文が収録されます。

○狗奴国研究の深化
 正木裕さんの一連の研究により、『三国志』倭人伝に見える狗奴国が銅鐸圏の国家であることを考古学と文献史学からのアプローチにより明確になりました。こうした研究業績により、倭人伝研究も一層の発展を見せました。その集大成として『邪馬壹国の歴史学』(古田史学の会編)がミネルヴァ書房よりもうすぐ刊行されます。

○竜田関の防衛方向の研究
 服部静尚さんの「古代の関」研究により、河内と大和の間に設けられた竜田関がその構造や地勢から、大和方面から河内に侵入する「外敵」に対しての「関」ということが明らかとなりました。すなわち、竜田関は九州王朝の副都「前期難波宮」を大和(方面)の勢力から防衛するために設けられた「関」ではないかとされました。「古代の関」の多元史観から見直しという新たな研究領域の出現といえるでしょう。

 これらの他にも、多くの研究成果が報告されました。古田学派ならではの革新的な研究領域であり研究成果です。


第1114話 2015/12/30

2015年の回顧「古田史学の会」編

 今日は帰省の新幹線車中で書いています。2015年は激動と慟哭の年となりまし。心重いのですが、例年のように「古田史学の会」に関連した出来事について回顧します。

○古田武彦先生のご逝去(10月14日)
 古田先生のご逝去はわたしたち古田学派や読者に激震をもたらしました。10月はわたしにとって慟哭の月となりました。享年89歳ですが、古田先生が敬愛された親鸞の没年齢と奇しくも同じ年齢です(親鸞は数え年で90歳没)。

○「古田史学の会」水野代表が退任
 6月の会員総会で、「古田史学の会」創立以来20年にわたり代表を務められてきた水野孝夫さんが退任されました。後任としてわたしが代表を勤めさせていただくことになり、新たに正木裕さんが事務局長、竹村順弘さんが事務局次長に就任されました。小林副代表は留任され、新四役体制が確立しました。水野さんには顧問(全国世話人)として、引き続きご指導いただけることになりました。

○米田敏幸さんを迎え、記念講演会(6月21日)
 6月の会員総会では庄内式土器の専門家、米田敏幸さんを講師に迎え、記念講演を行いました。正木さんも狗奴国に関する講演をされました。考古学者をお招きしての講演会は「古田史学の会」としては初めての試みです。今後も、日本古代史の関連諸分野の研究者を講演会にお招きしたいと考えています。

○『古代に真実を求めて』18集をリニューアル
 明石書店より発行している会誌『古代に真実を求めて』を大幅にリニューアルし、『盗まれた「聖徳太子」伝承』として刊行しました。従来の応募原稿中心の編集から、毎号毎に特集を組み、それにふさわしい原稿を中心に編集することにしました。19集は「九州年号特集」を予定していましたが、急遽、「古田武彦先生追悼号」に変更し、編集作業中です。

○『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行記念東京講演会開催(9月6日)
 『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行を記念して、東京講演会を開催しました。会場は東京家政学院大学千代田キャンパスをお借りし、在京の友好団体「東京古田会」「多元的古代研究会」のご協力もいただき、成功裏に開催することができました。講師は正木さんとわたしが担当しました。プロジェクター映像を本格的に駆使するなど、新たな講演スタイルにも挑戦しました。

○メール配信事業「洛洛メール便」をスタート
 ネット環境を利用して、ホームページに連載している「洛中洛外日記」や、ホームページには掲載しない「洛中洛外日記【号外】」を希望される会員に配信するサービスを4月から開始しました。配信作業は竹村事務局次長に担当していただきました。

○「古田史学の会facebook」を開設
 「古田史学の会」の活動をよりビジュアルに発信するために、従来のホームページ(新・古代学の扉)とは別に「古田史学の会facebook」を開設しました。関西例会や遺跡巡りハイキングの写真や動画を掲載しています。これも竹村さんに担当していただいています。
 更に、facebookを利用している会員間で「友達」として意見交換や情報発信も始まりました。わたしや正木さん、竹村さん、横田さん(「古田史学の会」インターネット事務局)、竹内さん(「古田史学の会・東海」会長)、そして会員の冨川けい子さんらが「友達」となって活発な情報発信・意見交換を行っています。

○「愛知サマーセミナー2015」で講義(7月19日、名古屋市)
 愛知淑徳高でに開催された「愛知サマーセミナー2015」で、「古田史学の会・東海」の取り組みの一環として、わたしも講義しました(テーマ:教科書が書かない!日本古代史の真実とは!)。愛知県下の高校生だけでなく中学生も熱心に聴講されていました。子供たちに古田史学を紹介し、学問の方法を語ることは将来的にも貴重な取り組みです。

 以上、2015年の「古田史学の会」の取り組みを思いつくままに記しました。


第1107話 2015/12/19

『日本書紀』安閑紀に

 「九州年号建元」記事発見!

 先月公開されたテキサス医科大学の研究者による下記論文は、損傷筋細胞からいわゆる「STAP現象」による幹細胞の発現を確認したというものらしいのですが、ネイチャーの電子版に掲載されています。残念ながらわたしの英語力では全く理解できませんでした。もちろん、門外漢のわたしには当否も判断できません。

 『Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells』
 損傷誘導性による筋肉由来の幹細胞様細胞(iMuSCs)
  http://www.nature.com/articles/srep17355

 願わくは、小保方さんや笹井さんの時のような集団バッシング(マスコミなどによる日本型リンチ)にあうことなく、発表者たちが落ち着いた環境で研究を進められますように。仮に間違っていたり不正確な仮説であっても、自由に発表しあえる学問的寛容性もまた科学を発展させてきたのですから。
 本日の「古田史学の会」関西例会では正木裕さん(古田史学の会・事務局長)から、『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事発見を報告されました。従来から『日本書紀』編纂にあたり漢籍(「芸文類聚」等)からの転用があることは知られていましたが、その漢籍転用は九州王朝が先行して行っており、その転用した九州王朝史書を『日本書紀』編纂にあたりそのまま引用した可能性があることを指摘されました。
 そうした研究過程で安閑紀に「九州年号建元」記事なるものを発見されました。さらに、この方法論による『日本書紀』史料批判の結果、九州王朝の漢籍受容の検証が進み、九州王朝思想史の研究にも道を拓くことが予想されます。とても興味深く重要な発表でした。今後の展開が楽しみです。
 12月例会の発表は次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
①「九州年号」と「評」から見た九州王朝の風景(八尾市・服部静尚)
②多利思北孤の都は伊勢(三重県)にあった(姫路市・野田利郎)
③仮説「国伝」のご意見への回答(姫路市・野田利郎)
④狗邪韓国の一考察(奈良市・出野正)
⑤『三角縁神獣鏡研究の最前線』〜精密計測から浮かび上がる製作地〜(京都市・岡下英男)
⑥『日本書紀』における「神武紀」の役割及びニギハヤヒの位置付け 後編2(東大阪市・萩野秀公)
⑧『大唐青龍寺三朝供奉大徳行状』の空海(高松市・西村秀己)
⑦『日本書紀』の「原典」と九州王朝(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・宮本美代志氏(米子市)から質問fax・史跡巡りハイキング(JR四条畷駅付近・市立歴史民俗資料館〔開館30周年特別展「継躰天皇と河内の馬飼い」〕・楠正行墓)・TV視聴(奈良大学文学講座)・別府史談会30周年記念投稿募集案内・蛭田喬樹『周髀算経』と「短里」、『歴史研究』No.636、2015/11・その他